社会福祉法人風土記<8>慶徳会 下 ビハーラ運動を実践 

2015年1217 福祉新聞編集部
2代目理事長 藤井了貞師

 社会福祉法人「慶徳会」の15の施設群はJR茨木駅から車で5分ほど、大阪府茨木市の北春日丘や見付山地区一帯に点在する。戦後70年にわたり築き上げてきた福祉ゾーンだ。

 

 敗戦の混乱下、法人の初代理事長・藤井教恵師と妻・静野さんが児童養護施設「子供の家」に続いて力を注いだのは養老院「慶徳寺光華寮」である。困窮するお年寄りの生活保護施設。戦前からの母子寮を廃止・転用し1954(昭和29)年に開いた。費用は素封家の藤井家がすべて出した。

 

 教恵師はここで「親交会」という自治組織を立ち上げている。会則をもつお年寄りだけの集まり。1963(昭和38)年、老人福祉法の公布で養護老人ホーム「光華苑」へと呼び方は変わるが、その2年前から国が支給を始めたわずかな老齢福祉年金を互助精神でプールし、おさい銭も足して「子供の家」の節句の菓子代や入学・進学祝い金などに充てたという。幼老交流である。

 

                   ◆

 

 ユニークなのは、光華苑のそばに1958(昭和33)年、有料老人ホーム「春菊荘」(住宅型・定員8人)を建てたことだろう。社福法人では北大阪地域初だった。その前年に法人の母体・慶徳寺の本堂が全焼(原因不明)、悲運にめげず頑張る静野さんにとって、安く利用できる〝終の住み家〟は夢でもあったという。

 

 その一角に共同募金で「茨木老人ホーム診療所」が新築されたのは1962(昭和37)年秋であった。

 

 「こちらでお世話になれませんか」。診療所新築の半年ほど前、初老の美しい女性が「春菊荘」を訪れた。行友李風(1877~1959)の夫人・静江さん。李風は新国劇『月形半平太』の「春雨じゃ、濡れて行こう」や、『国定忠治』の「赤城の山も今夜を限り…」の名台詞で一世を風びした人気劇作家である。

 

 あいにく満室。空くのは早くても2、3年先だろう。しかし、2度も足を運ぶなど真剣な懇請に断り切れず、1962年師走、春菊荘に別館を増築(定員7人)。夫人は5年間過ごし、ここから西方へ旅立った。おおらかな時代であった。

 

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 法人の充実期は、激動とともにやってきた。教恵師が1977年、その2年後に静野さんも往生を遂げる。創設者2人の間に子はなく、藤井家の跡目は教恵師の弟・了貞師が継いだ。第16代住職として焼けた慶徳寺本堂を再建(1980年)したほか、茨木市の要請を受け、心身障害児・者短期入所施設「養育センター」、軽費老人ホーム、高齢者のデイサービスセンター「静華苑」や特別養護老人ホーム「春菊苑」、職員寮などを次々に新設。法人2代目理事長の責を果たしていく。

 

カラオケを楽しむ利用者。同市初のデイサービス施設である「静華苑」

カラオケを楽しむ利用者。同市初のデイサービス施設である「静華苑」

 

 法人初の特養・春菊苑のオープンは1986(昭和61)年。社福法人としては遅い事業化といえるだろう。背景は、このころぐんと進んだ養護や軽費のホーム利用者の病弱化である。ケアが必要になると、病院やほかの施設へ移らざるを得ない。最期まで住み慣れたところで尊厳ある生を−80年代、慶徳寺の本山・西本願寺(浄土真宗本願寺派)などで活発になるビハーラ(サンスクリット語で「休養の場」)運動の実践でもあった。

 

 寡黙ながら鋭い発想を持ち、大阪府下の福祉事業者の会議などで意見が割れた時、了貞師の一言で場が治まったとの逸話もある。本願寺派社会福祉推進協議会副会長の座にあった。会長は西本願寺総長(門主につぐ総理大臣格)。師は実質、会長のような立場でビハーラの重要性を説いた。

 

 旧厚生省の中央児童福祉審議会委員や大学・短大で福祉労働論の教授などを歴任し、福祉職の労務改善(近代化)を進める研究者でもあった。元号が平成となる前年の1988(昭和63)年、関西福祉界のリーダーは惜しまれつつ世を去る。享年76歳。

 

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 平成の扉が開くとともに、児童・高齢者・障害者の福祉ニーズは多様化。今秋には、部屋と詰め所が映像で結ばれたデジタルナースコールなどを大阪府下で初導入した「サービス付き高齢者向け住宅」(定員30人)や訪問看護ステーションなども起こした。安全にこだわる。

 

 「介護保険制度になって介護報酬を少しは内部留保できるようになった。でも、もともと藤井家の3人が土地や建物など私財を法人へ投じてくれたゆとりがベースにあってこそです」。

 

 僧籍をもち、今年3月に4代目の法人理事長になった大和治文さん(76)=元兵庫県西宮市市民局長=は感謝し、こう続けた。「ある民間事業者に法人経営について話したら、あっさり言われました。『きちんとケア態勢を用意した上で利益を上げようとしたら、福祉というのは民間ではとても手を出せる世界じゃおまへん』と」。

 

 農繁期託児所を出発点に来年で85年を迎える慶徳会の歩みの中で、借入金を返済し終えたのは2006(平成18)年ごろだったと関係者は打ち明ける(「慶徳会80周年記念誌」2011年)。

 

 いま「子供の家」には虐待などで家を出た児童ら45人が暮らす。併設の「養育センター」では在宅の障害児も日中を過ごし、あるいは泊まる。間仕切りはない。同じ食堂を使い、そばで遊ぶ。だれもが安全かつ安心な空間を作る。なまなかなことで、できるものではない。

(横田一)

 

大和理事長

大和理事長

 

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