社会福祉法人風土記<28>八幡会 上 島原半島の“八幡の杜”から

2017年1006 福祉新聞編集部
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橘湾に向かって建つ島原特別支援学校南串山分教室、「ケアホームあさかぜ」「あけぼの学園」と雲仙市立南串中学校

 長崎県島原半島の南西部に位置する雲仙市南串山町(旧高来郡南串山村京泊名)の小高い丘に建つ八幡神社は、戦前まで八幡宮と呼ばれ宇佐神宮(大分県)の末社の一つとして1664(寛文4)年に創建された。この境内に社会福祉法人八幡会本部と1952(昭和27)年開設の「八幡保育園」(定員40人)と高齢者支援の諸施設がある。

 

1959年頃の八幡保育園

 

 ここから300㍍ほど登った倉越の段々畑を切り開いたところに、1962(昭和37)年に開設した県内3番目となる知的障害児の重度更生施設「あけぼの学園」(定員60人)が建つ。眼下に橘湾が開け、1967(昭和42)年「分園」として開設した授産施設「あかつき学園」が職業訓練のために取り組む水産事業の生け簀筏が浮かぶ。よそにある施設も含めて八幡会は、児童施設から加齢対策として成人施設に転用する方策の基礎を真っ先につくったところである。その一つに加津佐町野田に1970(昭和45)年開設の成人更生施設「八雲寮」(定員30人)があったが、現在は八幡会から独立した社会福祉法人ほかにわ共和国が施設を権田に移し運営する。

 

 ところで施設の多くは橘湾に面する急峻な土地にある。その湾沿いを島原鉄道バスが走る。その代表役員で考古学研究者だった白杖の人、宮崎康平氏(1917~80)と八幡会創設者、志賀幸村初代理事長(1889~1975)とは、互いに障害を持つものとして親交があった。その縁で今も施設関係のバス利用はすべて島鉄を利用しているという。

 

志賀幸村・マサ子夫妻

 

 ここでこの地の歴史に触れておきたい。1637(寛永14)年に起きた島原天草一揆に串山村(島原藩)の領民1962人も参加したが、籠城した原城(南島原市)で全滅。領民が激減したために、天領の小豆島をはじめ他藩、他村から入植した入百姓によってその後開墾開拓されたと『島原藩南串山村馬場庄屋古文書・古記録抜書帳』古文書研究会(2014年刊)にある。なお、天草については郷土史家・松田唯雄の『遺稿集』(1989年刊)に詳しい。

 

 現在の南串山町の人口は3877人だが、1950(昭和25)年には7786人であった。町の高台に登ってみると、その見事な野面積みの段々畑の連なりが視野いっぱいに入ってくる。肥後(熊本)、肥前(佐賀、長崎)の石工も当初の石積みに加わっていたという。

 

 さて、八幡会の起こりは八幡神社宮司で教員でもあった前出の志賀幸村、マサ子(1893~1974)夫妻が、『惟神』−自然を大切に、神々と共に歩き、共に幸せを分かち合う−という神道精神を理念として、幼児、障害児を助け幸せにしたいという、生来の熱い思いからであった。

 

 幸村氏は中度聴覚障害だったが、旧制天草中学校、國学院神道科2部(夜間)、長崎師範2部で学び、代用教員を手始めに教壇に立つこと21年。多くの生徒に接したが、とりわけ知的障害児への関心は強く、担当になった時には自分が障害があることで味わったつらさ、悔しさと重ねて、共感、共鳴しながら、この子らを「神の子」として助け幸せにすることを決意した。

 

 しかし、戦後は神社、神道に対し、1945(昭和20)年、GHQ(連合国総司令部)のD・マッカーサー最高司令官は、神道を軍国主義のイデオロギーとみなし、国家から完全に分離するために「神道指令」を発令した。

 

 この当時の様子を、小学2年生だった志賀稔2代目理事長(81・幸村次男)は鮮明に覚えていると語った。「米兵がジープで乗り付け、金属探知器で祭事用の金属製の器や刀剣を見つけ持って行ってしまった」。続けて「戦時中、日本は燃料用の油がないということで、兵隊が来て境内にたくさんあった黒松の大木の根っこから油(松根油)を搾り取ってしまったため、昭和25年には枯れてしまった。なかでも大木だった黒松は松喰い虫にやられてしまったが、昔から農民の守り神、漁民にとっては漁場を立てる大切な木ということで、父は警察から切ることをすすめられたが、御神木の楠とその大木は絶対に切らせないと言った」。

 

志賀稔理事長(八幡神社前で)

 

 その時期に隣接地(志賀家所有)に村役場を建てる話が持ち上がり1950年、役場はその松材で完成した。『五十周年誌』(2002年刊)の表紙の絵はその残された黒松である。

 

 志賀俊紀・ほかには共和国理事長(73・幸村四男/元八幡会常務理事)は「父を支えたのは母マサ子です。生涯二人三脚でした。いつも行政との交渉役を引き受け、まわりの人はその交渉力に驚いたそうです。父は実践する教育者として人望があり、地域の子どもたちに神楽舞の『浦安舞』など教えていましたね。そういうこともあって、難しい土地取得の時に住民は父の話に耳を傾け、理解を示し協力してくれるようになったのです」と父母を称えた。

 

【高野進】

 

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