社会福祉法人風土記<41>北海道家庭学校 下 夫婦小舎制で成長を見届ける

2018年1025 福祉新聞編集部
    • このエントリーをはてなブックマークに追加
寮長の藤原浩さん(左)、寮母の美香さん

 大自然の中で不良少年を矯正して職業を持った一人前の大人に育てよう、という留岡幸助の夢が1914年に形を成した感化院「家庭学校北海道分校」。だが、創立20年を迎えた34(昭和9)年、留岡は脳出血で倒れ70歳で永眠した。

 

 満州事変、2・26事件、日中戦争と日本は年々、戦時色が濃くなる。北海道は不作・凶作に見舞われ、牛乳や特産のハッカの価格が下落し、窮民と化した小作人による争議が頻発。留岡の死後、家庭学校の農地解放は何回にもわたり行われた。

 

 太平洋戦争が始まると、「非国民の不良少年になど関わるな」と周囲の目が一段と冷たくなった。家庭学校は戦中・戦後と荒れ果てたままの数年が経ち、存亡の秋を迎えていた。

 

 「私には親の仕事を世襲するつもりなんか毛頭ありません」

 

 若き日、こう突っぱねていた留岡の四男、清男(1898~1977)は、生前の弱った父親の姿を見て、法政大学教員を辞めて29年から北海道に渡り家庭学校の教頭職に就いた。そして戦後49年に第4代校長となり、崩壊寸前だった家庭学校の復興に乗り出した。

 

 既に児童福祉法による教護院として認可され、1952年には社会福祉法人に改組して、「分校」から「北海道家庭学校」と改称した。東京の「社会福祉法人家庭学校」から独立したのは、70歳を前に清男が校長職を谷昌恒にバトンタッチする直前の68年。

 

 「今の北海道家庭学校は清男校長から始まったと言ってもいいのではないか」と言うのは、現在の社会福祉法人北海道家庭学校の家村昭矩理事長(72)だ。

 

 まさに「ゼロからの復興」は清男の著書「教育農場 五十年」(岩波書店)に詳しい。小作地を半分以上解放した後、「独立採算制」の方針の下、農場を広げ、牧草地を肥やし、全滅していたニワトリを飼い、乳牛も導入し、ボロボロの寮舎を改築した。橋を付け替え、山林から木材を切り出し、浄化槽をコンクリートにした。すべてを少年、職員たちと一緒にやったのだ。

 

現在は44頭の乳牛を飼育する

 

 特に、作物が育たない重粘土層の地質を改良するため、暗渠排水工事を徹底的にやって土質を一変させた。この間に少年たちの目つきが違ってきた。自分たちのことは自分たちでやる独立心が目の輝きとなったのだ。

 

 1972年に北海道開発功労賞が北海道家庭学校に贈られた。当時理事長だった清男は、次のような謝辞を述べた。

 

 「北海道家庭学校は世の常の学校とは違って生徒が学校を創り上げてきた。森も道も畑も寮舎も水道施設も重粘土層を縦横に貫く暗渠排水も、長年月にわたり、数多くの少年たちが本校の生活で流した汗と膏の跡を、私どもは一つ一つ記憶している」

 

 1998年に児童福祉法改正により「教護院」は「児童自立支援施設」と名称が改まった。対象児童もそれまでの「不良行為をなし、またはなす恐れのある児童」に加えて、「家庭環境その他の環境上の理由により生活指導を要する児童」も含まれるようになった。いずれにしても児童養護施設や里親宅が「生活の場」であるのに対して、児童自立支援施設は「指導・訓練の場」であることに変わりがない。

 

 「現在いる小中学生15人のうち大半が、虐待を受けた体験があり、発達障害を有する比率も高いです」と現在の9代目、仁原正幹校長は説明する。入所前の問題行動は性的非行がトップで、金銭持ち出しや万引き、暴力行為、怠学が続く。戦後長く定員85人近くが生活していたが、ここ数年激減した。

 

 100年以上続く北海道家庭学校に今も留岡幸助の遺産が脈々と流れているのは、キリスト教精神と、電子錠も鉄格子も監視カメラもない「開放処遇」と、もう一つある。「夫婦小舎制」だ。

 

 「家庭のような温かい雰囲気で作業と勉強をしながら矯正していく」という当初の理念から、少人数の宿舎に夫婦が住み込みで少年たちの父親・母親のように接するやり方だ。

 

 現在、児童自立支援施設は全国に58あり、今もそのやり方を続けている所は約3割しかない。24時間365日を共にする(休日は増えているが)生活を仕事として希望する夫婦は次第に減っている。「前時代の遺物」という批判とともに「やはり少年たちの愛情形成が違う」と効果を強調する声も消えない。

 

 北海道家庭学校では今、2組の夫婦が寮長・寮母として働くが、寮母はともに家村理事長が大学にいた時の教え子だ。

 

 「掬泉寮」の寮母、藤原美香(32)がその一人で、夫で寮長の浩(35)と住み込んで3年、今は6人の少年と暮らしている。夫婦小舎制の良さを「トラブルも多いけど、それを何回も何回も受け止めていると、その子の優しさが見えてくる。反抗していた子が『来てよかった』と涙を流しながらここを出ていくとき、その子の成長を見届けることができたと、この仕事のやりがいを感じます」と話す。自身に子ども(2歳)ができた後は、親の気持ちが分かって少年たちへの理解が深まったという。

 

 大学卒業後、1977年から長く寮長を務めた元副校長の軽部晴文(62)は「(仕事そのものは)大変は大変ですよ。でも子どもが変わる姿が目の前で見えてくるんですよ」と、やはりやりがいを強調する。

 

 子どもたちは初め自分を殺してここに来る。でも、抱えている毒や苦しみ、悲しみを、ここでパーッと安心して吐き出せるようになる。そういう場を提供できればいい。苦しみをすくい取ると、その子の本来の姿が見えてくる――。

 

 一世紀を超える歴史をまとめようと今、「100年史」の編集作業が進んでいる。その中心となっているのが、留岡の生涯の足跡を詳細なデータで分析、記述した「留岡幸助と家庭学校」(不二出版)の著者で北海道教育大学教授、二井仁美。今という時代に、北海道家庭学校の存在意義をどう伝えるのか。

 

 「今は教育と福祉との間に溝がある。小中高の先生を目指す若い人には福祉施設での実地体験をしてほしいし、北海道家庭学校の歴史を通して、社会的養護のことをもっとよく知ってもらいたい」

 

 

【網谷隆司郎】

 

 

 

(関連記事)

<41>北海道家庭学校 上 教育重視掲げた留岡幸助

<41>北海道家庭学校 中 逃亡による悲劇にも開放貫く

 

 

留岡幸助と家庭学校―近代日本感化教育史序説
二井仁美
不二出版
売り上げランキング: 374,678

 

社会は変えられる: 世界が憧れる日本へ
江崎禎英
国書刊行会 (2018-06-25)
売り上げランキング: 3,793

 

発達障害と少年犯罪 (新潮新書)
田淵 俊彦” “NNNドキュメント取材班
新潮社
売り上げランキング: 2,831
    • このエントリーをはてなブックマークに追加