社会福祉法人風土記<44>びわこ学園 中 医療と教育 一体的に実践

2019年0124 福祉新聞編集部
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記録映画「夜明け前の子どもたち」の撮影風景(1967年)

 単に障害者を収容して日々の生活の世話をするだけではない。一人ひとり、人間としての発達を保障する施設を作ろう--

 

 「心身障害福祉の父」といわれる糸賀一雄(1914~1968)の画期的な「発達保障」の福祉哲学から生まれた重症心身障害児施設「びわこ学園」。1963年滋賀県大津市に創立され、病院と施設を止揚した存在、つまり医療と教育を一体的に行う「療育」を実践する場としてスタートした。

 

 国の制度に先んじての開園。しばらく後に厚生省事務次官通達「重症心身障害児の療育について」が出されたのだった。

 

 てんかん、精神疾患、幼年自閉症に加えて、肢体不自由を併せ持つ子どもたち。その医療の軸となったのが、びわこ学園の初代園長を務めた岡崎英彦(1922~1987)だった。

 

 京都帝国大学医学部在学中、学生寮でのボランティア組織「学生義勇軍」に参加。その関西支部長が当時、滋賀県秘書課長を務めていた糸賀だったことが縁で、岡崎は敬意を抱きつつ親交を深めた。

 

 戦時中に軍医として中国大陸に派遣された。終戦後の1946年に復員後、近江学園を開設した糸賀と再会、すぐに医療現場に参じ、63年のびわこ学園設立にも尽力した。自ら園内に住み込み、10人の職員と6人の重症児との密接な日々を送った。

 

岡崎英彦・初代園長

 

 開園して1年がたった時、岡崎はこう述懐している。

 

 「少しきざな言い方ですが、現在の学問や技術だけではどうすることもできないほどの障害を根に持っている子どもを前にして、私たちはやはり、赤裸々な人間として、一つのいのちとして相対する以外にすべがないように感じます。この子どもたちも他の子どもたちと同様に全力で生きているのです。私たちも私たちなりに、全力で相対する努力なくしては、その子どもたちについていけないものを感じております。そのふれあいの中で感じとられたものが、この仕事の意味であろうと思われます」(「びわこ学園だより」第1号巻頭言より)

 

 いのち、という言葉に、戦地で軍医として多くの若者の最期を看み取とった体験がにじみ出る。独ナチスによるユダヤ人強制収容所から辛くも生還した精神医学者、フランクルの書「夜と霧」。若い職員にそれを読むように勧めた岡崎は、極限状態のいのちと赤裸々に向かい合う姿こそ、人間らしいと考えていた。

 

 そんな園内の様子をビビッドに伝える映像がある。67年に記録映画の撮影隊を半年にわたり迎え入れて園内外を自由に撮影してもらった。子ども、職員、親のふだんの表情を克明にとらえた116分の記録映画「夜明け前の子どもたち」(柳澤寿男監督)として翌年完成した。

 

 当初、園側には「重症児の悲惨な姿が描かれるのでは」と心配する声もあったが、野洲川の河川敷で小石運びに興じるときや、五月の鯉のぼりを見上げるときのあどけない顔には、見る者を引き付ける何かがあった。ほうきを持って歩む女の子からほうきを取り上げると一歩も動かなくなる。そこに意志があった。そうした姿に、言葉にならない言葉を雄弁に発している、と感じた人も少なくない。

 

 その姿に驚いた糸賀は「障害が重症だからときめつけて定型化してしか見ることができなかった私たち」と反省の弁をつづった。

 

 「この子たちは生ける屍といわれていた。しかし、そうではなかった。立派な意志があり、意欲があり、自己主張があった。外界から刺激を受けとるだけでなく、外界に対し、先生や友達に対し、働きかけているのだ。肉眼ではとらえられなかった、なまな、いきいきした、生命いっぱいの、生産的な姿がそこにあった。カメラはそれをとらえた」(「福祉の思想」)

 

 この子たちに夜明けを迎えさせたい、との願いからタイトルが付けられた。全国各地で上映され、東京では皇太子ご夫妻(今の天皇、皇后両陛下)もご覧になった。重症心身障害施設の存在と現実が初めて幅広い人の目に触れた。

 

 だが、光があれば影もある。日光浴をさせようと、職員が子どもを両手で抱えたり、おぶったりして施設内から戸外に運び出す場面が映画の中にある。発達保障の一環だ。だが、そうした作業の増大で腰痛や頚腕症候群に苦しむ職員が増えていった。看護師ら職員の退職が相次いだ。

 

 1968年から医師不足で外来診療中止▽休業職員多く家族が病棟応援に入る▽赤痢発生やインフルエンザ流行▽腰痛問題の深刻化で園長が父兄会長に園児の一時帰宅を申し入れ▽職員労働組合が増員要求で時限ストライキ▽設立からの借金返済が滞り赤字・資金難が続く……問題山積の頂点が1973年。学園存続の危機を迎えた事態は「昭和48年問題」と呼ばれた。

 

 その後、園内に自前の腰痛治療室を造り、労災認定も認められ、きつい作業を機械化する一方、滋賀県から資金貸与を受けるなどして、混乱は2~3年で収まっていった。

 

 第一、第二びわこ学園双方の園長を兼務していた岡崎は何とか危機を乗り切った。職員たちとの話し合いの中で、とかく施設運営が前面に出るとき、岡崎がポツリとつぶやいた、「本人さんはどう思てはるんやろ」と。

 

 言葉を発しない一人ひとりの重症障害者と、赤裸々に相対して濃い関係を結ぼう。そこから伝わってくる本人さんの声をしっかり聞き取ろうやないか。

 

 「この子らを世の光に」とともに、「本人さんはどう思てはるんやろ」は、今もびわこ学園の精神的支柱になっている。

 

【網谷隆司郎】

 

社会福祉法人風土記〈44〉びわこ学園 上 糸賀一雄 福祉哲学の原点

社会福祉法人風土記〈44〉びわこ学園 下 生涯にわたる支援が強み

 

 

 

 

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