社会福祉法人風土記<45>高知慈善協会 上 孤児らと生きた龍馬の姪

2019年0207 福祉新聞編集部
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子どもたちに別れを告げる菊栄(博愛園で1947年春)

   ♪どどどん風よ

   ふいてこい
  土佐は山田の

   南国育ち
  龍馬ゆかりの

   ぼくたちを
  いつも見ている

   優しいお顔
  おばあちゃんは

   ここぞね

 

 高知県香美市(旧・土佐山田町)の児童養護施設「博愛園」。玄関脇のピアノの伴奏で職員が第2の園歌『博愛園のうたここぞね』(中村千葉子作詞、湯山昭作曲)を合唱してくれた。軽快なメロディーに誘われ、園児たちも飛んできた。

 

 「ボク、5歳!」。かわいい声を上げた。

 

 「おばあちゃん」と慕われたのは岡上菊栄(1867~1947)。幕末の志士、坂本龍馬の姉・乙女と土佐山内家藩主の典医・岡上樹庵の間に生まれた(長女)。初代の園母(園長)として1910(明治43)年から亡くなるまで37年余、孤児らと生きた。もう一つの児童養護施設「愛仁園」と四つの保育園をもつ社会福祉法人「高知慈善協会」(大﨑博澄理事長)=博愛園以外は高知市=の福祉の心を育んだ。

 

■悪習に立ち向かう

 

 協会の起こりは「高知育児会」にさかのぼる。

 

 幕藩時代、堕胎や間引きが日本中にはびこった。なかでも土佐は「鬼国」と呼ばれ、郷土の政治家・板垣退助ら矯正を叫ぶ声は高かった。子ども「養院」づくりに県民から17万両の寄付が集まっている。しかし廃藩置県(1871年)のどさくさに紛れ資金は流用、計画はついえてしまう。

 

 続いて1881(明治14)年、京都本願寺が高知別院に企画した「付属育児会」も資金難でさたやみに。付属育児会に関わり、貧家へコメを配り、乳児を自宅に預かるなどした青年3人の奔走で1883年、世に出たのが高知育児会だ。

 

 当時の寄付・募金(1884~85年)の資料が残っている。山内豊範(最後の土佐藩主)をはじめ谷干城、後藤象二郎、田中光顕、岩崎弥之助(三菱創業者・弥太郎の弟)ら土佐人のほか、三条実美、大山巌、伊藤博文、西郷従道、井上馨、山県有朋、松方正義、榎本武揚、渋沢栄一、安田善次郎といった明治を彩った人物がキラ星のごとく並ぶ。それを元手に母子へ救いの手を差し伸べ、産婆教授所(1888~1907年)を開いた。

 

 そのころ政府は恤じゅっ救きゅう規則(1874年制定)に基づき困窮者や障害者らへいくばくかのコメを配っている。しかし雀の涙でしかない。

 

 時は流れ、社団法人となっていた高知育児会は1908(明治41)年から翌年にかけ、児童養護施設「高知育児院」ならびに免囚めんしゅう保護・感化孤児教育などを事業の柱とする土佐慈善協会を吸収・合併。看板を高知慈善協会にかえ、高知城の南に博愛園を立ち上げた(1910年)。

 

■両親の縁うすく

 

 「今度出来た博愛園へえゝ園母を雇いたいけんど、女学校の先生は給料が高うてどうもならん。…おまん来とうせんか」(前川浩一著『岡上菊栄の時代』1993年より)

 

 協会の北村浩理事長が安芸町第2尋常小学校を訪れ、准訓導の菊栄に頭を下げた。随分な言いようだが、「両親の縁にうすく嘆き多かった我身を省み」(菊栄著『三十余年の懐古』1942年)、快諾している。

 

坂本龍馬の姉・乙女

 

 龍馬の小柄な姪めいは女丈夫だ。生後間もなく母乙女は離婚、坂本家へ戻った。岡上家と近く、一緒に暮らす長女の菊栄を、わが弟龍馬を鍛えた気性で作法、武芸、水泳などスパルタ式に教えたという。

 

 16歳。岡上家を離れ、アメリカ人宣教師アンニー・ダウド女史が高知市内に開いた私立高知英和女学校(今はない)の門をくぐる。キリスト教と知った身内は仕送りを絶ち、中退に追い込まれてしまう(大正年間に受洗)。芸者への道も一時考えたらしい。その寸前、県の教員試験に受験料を半額にまけてもらって合格。年下の同僚(といっても師範学校出の校長)と結婚、5人の子の母となった。

 

 学校へ来られない子、差別に苦しむ子の家々を支援に歩く菊栄の熱意を北村は聞いていたらしい。一度は反対した夫も同意、一家は高知へ移っていく。時に41歳。

 

 わが子同様に孤児と接した。結核の少年を看病して治し医師を驚かす▽盗癖の子を改心させる▽酒乱の男と対峙たいじするなどエピソードに事欠かない。特に周りを感心させたのは、最もかわいそうな子を毎晩抱いて寝たことだという。

 

 このころ、協会事業も広がっている。博愛園に尋常小学校や養老施設を併設、身寄りのないお年寄りを世話(1918~42年)▽診療所開設(1922~45年)▽小高坂双葉園など2保育園の運営などだ。特に小高坂双葉園は元教師、弘田里(1869~1950)が全資産(当時の2000円)を投じ1933年に建てた。7年後、協会へ園の管理を託し、里は園長を務めているが、彼女の生涯は菊栄のそれに近い。

 

 しかし、1945年7月4日夜(米軍の高知大空襲)、子どもたちとの日々は一変した。

 

  【横田一】

 

 

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