社会福祉法人風土記<45>高知慈善協会 中 公がやらない事業へ力注ぐ

2019年0214 福祉新聞編集部
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桂浜の坂本龍馬銅像

 焼夷弾しょういだんが雨あられと降ってくる(高知大空襲・1945年7月4日未明)。児童施設「博愛園」の初代園母・岡上菊栄や長女の千代(故人)、高知慈善協会の事務局長だった次男・守材(同)が引率する園児12人、職員は炎の迫る園の防空壕を脱出、命からがら逃げまどった。みんなで戻った園は跡形もなし。多数の市民が死傷する中でケガ人は出ず、バラバラに疎開していった。

 

 「一日でも早い復興を」

 

 災禍をまぬがれた高知城を見上げ、菊栄は心に誓ったに違いない。1カ月後、終戦を迎え、守材も活発に動く。

 

 焼失から1年後、城の西側にあった旧・武揚協会会館の寄贈を受け、園児を呼び寄せた。年末には南海大地震に見舞われたが、翌1947年5月には守材の下で高知市北郊の東久万地区へ移り、母子寮(1974年閉鎖)も設けている。移転にあわせ菊栄は引退、師走に長男の家で眠るように天へ昇った(80歳、老衰)。2日前、児童福祉法が公布されたのを見届けるかのように。

 

おばあちゃんの碑

 

 園は老朽化し1966(昭和41)年、今ある高知県香美市(旧・土佐山田町)の小学校跡地へ新築移転。菊栄を記念する石碑(1950年建立)も一緒に新園の一角へ。

 

 「おばあちゃんは ここぞね」

 

 高さ3メートルの石碑にはこの言葉の上に温顔のレリーフが刻まれている。

 

 

博愛園「おばあちゃんは ここぞね」碑の前に立つ、前田宗明理事(左)と田村桂造園長

 

 

 「人間を絶対見捨てない人でした。守材さんも『いろいろあっても、101回目は子どもを信用しちゃらないかんぜよ』と言ってました」。2017年まで28年余、4代目の園長だった法人の前田宗明理事(84)は言う。

 

 子どもの体の洗い方などを菊栄からじかに教わった3代目園長、武田紀(1925~2010)は文集『博愛園雑草』(1952年、非売品)を作っている。新書版をほんのわずか大きくしたガリ版刷り、96ページ。満州からの舞鶴港(京都府)引き揚げ、大阪空襲で親を失った悲しみ、将来の夢などを小中高生ら28人が計51篇につづった。

 

 父親は数年前、世を去り、母子3人暮らしの家で夜通し看病した病弱な母もある朝、冷たくなっていた。「私達は亡くなったお母さんの体に 代る代るしがみついて なにもかも分らなくなってしまうまで 泣きつづけていました」と中2の姉。姉弟は民生委員の仲立ちで園へ。小2の弟は「ぼくには…もひとり武田のお母さまがいるのだ。その上に ぼくには いいねえちゃんが ひとりいるんだ」と書く。

 

 孤児救済は急務だった。そのため法人は終戦4年目に二つめの児童施設「愛仁園」を開いた(1949年)。

 

高知の革新的風土

 

 建碑をはさみ、1947年から13年ほど大野武夫理事長(1898~1971)が協会運営を担っている=理事は21年間在任。高知市生まれのスケールの大きな野人だったという。

 

 「自由ハ土佐ノ山間ヨリ」(明治の自由民権運動家・植木枝盛の文章)

 

 高知の県詞にうたわれる改新・反骨的気風そのままに、銀行員、鉄道会社、漁船員、中国大陸では自動車や薬の会社を興すなど八面六臂。桂浜に立つ坂本龍馬銅像(1928年除幕)の建設趣意書も起草した。戦後は新聞社論説委員のほか、県捕鯨協会会長、市教育委員長など公職に就き、社会党県連会長として故・氏原一郎市長ら革新高知市長誕生を後押ししている。

 

 「協会も自由民権運動関係者とのつながりは深く、高知の社会事業を事実上、けん引した」

 

 と、高知近代史研究会メンバーの氏原和彦さん(60)=高知市総務課長。高知慈善協会の前身団体である付属育児会と高知育児会の設立経過をテーマとした論文が評価され、優れた郷土研究に対する「平尾学術奨励賞」を2009年に贈られている。故・氏原市長の孫だ。

 

 大野理事長時代は一方で、戦後の経済成長にあわせ福祉ニーズも伸びる時期であった。保育所増設だけでなく、博愛園と愛仁園に次ぐ第3の養護施設のほか、三つの知的障害児者施設、健康相談診療所を立ち上げている。「公がやらないことへ力を注いだ」(前田さん)。しかし、分収林事業など収益に努めるものの、経営は追いつかなくなった。地元篤志家に支援を仰ぎつつ、施設を県や他の社福法人へ順次移管・移譲していった。

 

 このうち県西部の中村市(現・四万十市)に造った養護施設は、遠い社会福祉法人「鎌倉保育園」(神奈川県鎌倉市)が引き継いだ。医師、佐竹音次郎(1864~1940)による保育院を原点とする法人で、中村市は彼の生まれ故郷である。

 

 時代の波に揺れながら、現在の2養護施設、4保育所の態勢で協会創立100周年を迎えたのは1983年であった。

 

 

【横田一】

 

 

(関連記事)

〈45〉高知慈善協会 上 孤児らと生きた龍馬の姪

〈45〉高知慈善協会 下 福祉ニーズは時代と共に

 

 

 

 

 

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