社会福祉法人風土記<46>下関市民主事業助成会 上 日中戦争での困窮者支援が起源

2019年0313 福祉新聞編集部
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「よしみ園」の園舎全景(1965年)

 昔の長門国と周防国が一つになってできた山口県。その港湾都市として知られた下関。その中心部から響灘に沿って北へ約7㌔㍍。綾羅木郷(弥生遺跡)に続く眺めのよい蒲生野に立つ建物が、1965(昭和40)年から知的障害者支援福祉サービスを提供する「なごみの里」と、社会福祉法人下関市民生事業助成会の法人本部である。施設入所支援は定員90人、生活介護支援が定員110人の規模だ。

 

 ところで、この法人には約30年近い前史がある。『下関善隣館関係綴』によると、1937(昭和12)年の盧溝橋事件に端を発し、日中戦争が始まると経済情勢が激変。県下にも影響が及び、身寄りや住まいのない高齢者が多く生まれ、県当局としては救護施設の設置が急務となった。前年の36年、生活困窮者救護のために、全国に方面委員制度が設けられ、下関市(市長・松井信助)でも始動。方面委員(市長の委嘱・現在の民生委員の前身)全員が参画して下関市事業助成会が組織された。

 

障害者施設建設を目指す

 

 手始めに下関市大字椋野字矢風呂(現椋野町)に、建築費1万9000円をかけて「下関善隣館」(通称・椋野老人ホーム)を建て、1929(昭和4)年制定の「救護法」によって、定員30人の委託収容保護事業を開始した。

 

 戦後、1947(昭和22)年、生活保護法制定により保護施設に。50(昭和25)年、財団法人化。52年、社会福祉法人に組織変更して施設は存続したが、収容者の高齢化、建物の老朽化によって、その後、閉館に至った。

 

 この地は幕末期、長州藩を倒幕に向かわせた高杉晋作(1839〜67)の陣屋があった。歴史と言えば、民生事業助成会が組織された1952年はサンフランシスコ講和条約が発効し、日本国としての主権を回復した時である。下関から200㌔㍍弱の海峡を挟んだ朝鮮半島では、分断国家であった韓国と北朝鮮とが、半島全土を戦場に壮絶な戦いの真っただ中。この朝鮮戦争(1950〜53)で、緊迫する情勢の中、施設の母体となる財団法人下関市民生事業助成会(会長・福田泰三市長)は、社会福祉法人化に動いた。52年3月21日、山口県社会福祉法人資産評価委員会の中部兼市委員長(太洋漁業2代社長・現マルハニチロ)宛に、「下関善隣館」などの資産評価を要請。その結果、「評価は適当なものと認む」とされた。同年3月、助成会は吉武惠市厚生大臣(第3次吉田茂内閣)宛に社会福祉法人への組織変更認可を要請。それが認められると、生活保護法による保護施設(「下関善隣館」)を継続設置の申請をしている。

 

立ち上がった親たち

 これだけではない。今度は民間の動きである。障害児者の親たちが、「親の会」を結成し福祉、教育、援護そして施設設置のために立ち上がったのである。山口県内では50年、島根県に近い日本海に面した奈古村(現阿武町奈古)で発足。61(昭和36)年、宇部市と共に下関市に「手をつなぐ親の会」が結成され、2年後には山口県精神薄弱者育成連合会が誕生した。

 

 この時、下関市の「親の会」では、お年玉年賀はがき収益金の配布があることを知り、即座に市長、市議会に陳情し始めた。市議会関係者が提供してくれた『下関市議会会議録』を見ると、63(昭和38)年11月11日、文教厚生委員会の記録には、「建築用地を吉見の安養寺(真言宗・西山公道住職)から寺の所有地を無償提供の申し出があった」とある。議論が深まる中、12月16日の同委員会では「27町歩=5万1千坪の申し出に対し、30万円の賃貸契約を結んでは」との意見も出る。そして翌年の1月6日には「その団体は原田一二さんが代表(助成会初代理事長)の社会福祉団体だ」との発言もあって結論が出された。

 

 陳情のあった施設建設の財源は、お年玉年賀はがき分配金2000万円、県からの助成500万円。そして市議会は精神薄弱者(1998年から用語変更により呼称は知的障害者)援護施設設置費助成金を1000万円に決定したと、同年7月27日付の会議録に残している。

 

 当時、「親の会」からの熱心な陳情に応えて正面から取り組んだのが、木下友敬市長(1895〜1968)だったと伝えられている。九州大医学部卒業。医学博士、開業医の後、参議院議員を経て、市長に就任した人物であった。

 

 社会福祉法人下関市民生事業助成会は、山口県初の精神薄弱者援護・更生施設「よしみ園」を、響灘に面した半農半漁の吉見上字大谷に開設したことから新たな第一歩を踏みだした。町の奥まったところにある安養寺の裏手に、斜面を活用した3段構えの棟からなっていた。

 

「よしみ園」の跡地に立つ、左から元職員の中村美恵子さん、現職員の岡田恭子さん、佐仲文子さん

 

 しかし、2003(平成15)年には、建物の老朽化と斜面崩壊の危険があるとして、「よしみ園」は38年の幕を閉じ、施設名称を「なごみの里」として、大字蒲生野に移転が決まったのである。

 

【高野進】

 

 

 

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