社会福祉法人風土記<51> フランシスコ第三会マリア園 上

2019年0828 福祉新聞編集部
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昭和9年ごろの暁星幼稚園

 戦国時代に名をはせた上杉謙信ゆかりの新潟県上越市に、特別養護老人ホームや保育所など12の施設を運営する「社会福祉法人フランシスコ第三会マリア園」(伊能哲大理事長)がある。

 

 上越市は1971(昭和46)年に、国内有数の豪雪地帯で知られる高田市と、日本海に面した直江津市が合併して誕生した。法人は旧高田市で57(昭和32)年に「社会福祉法人マリア園」として設立された。法人の名称は65(昭和40)年に現在の「フランシスコ第三会マリア園」に改称される。

 

 法人の母体になる「フランシスコ会」は12世紀にイタリア中部のアッシジで生まれたフランシスコが創立したカトリック修道会だ。フランシスコは男子修道会である「第一会」と、女子修道会の「第二会」に、一般社会の中で生活している信者の会を「第三会」として創立した。仏教用語だと第一会、第二会が「出家」だとすれば、第三会は「在家」ということになるが、その在家信者の会が法人の名前につけられたことになる。

 

 さて、法人のルーツは32(昭和7)年に開園した「暁星幼稚園」だった。法人の母体になる「カトリック高田教会」(上越市西城町)の第5代主任司祭になるグリントゲス神父が開園した。海外宣教を目的として1875年にドイツで創立された「神言修道会」の神父だ。

 

 わが国でのカトリック宣教は1549年、スペイン生まれのフランシスコ・ザビエルが鹿児島県に渡来したことに始まるのだが、長い年月をかけて学校や病院、幼稚園などを開設。熱心に宣教にあたったことで、教会は驚異的な発展を遂げていくことになる。高田教会付属の幼稚園も宣教の一環として、さらに地域社会に貢献する取り組みとして開園された。

 

 幼稚園の開園にあたって、グリントゲス神父は故国・ドイツで発達した「キンダーガルテン」(子どもの庭)の思想を取り入れた。教育家のフリードリヒ・フレーベルが1840年に設立した、小学校に上がる前の子どもたちのための施設がキンダーガルテンだ。子どもたちは仕切られた家のような空間ではなく、「庭師」によって育てられる庭の花々のように、自然の中で成長していくべきだという考え方で「キンダーガルテン高田暁星」とも呼ばれた。

 

 高田には既に英国系の「聖公会紅葉幼稚園」(1925年開園)と、市立高田幼稚園があった。地理的に挟まれた暁星幼稚園に園児が集まるだろうかと、日本人信者たちは危ぶんだが、十数人が入園した。「35(昭和10)年の最初の卒園生は13人。職員は3人だった」との記録が残されている。

 

 開園当初の幼稚園は教会の「信者集会所」2部屋が使われた。グリントゲス神父は開園させることが先決で、園舎建設は後々、整備していけばいいという考え方だった。最初の卒園生の「幼き日々を」と題した回想録が残っている。「幼稚園は聖堂のすぐ隣の建物(信者集会所)にあり、畳と板張りが半々の大きな部屋が一つと、お弁当や着替えを置いておく小さな部屋の2部屋だけだった」と振り返っている。

 

 聖堂や信者集会所は幼稚園が開園する前年に新築されるのだが、ここで、カトリック高田教会の歴史についても、簡単に振り返っておかなければならないだろう。

 

 カトリック高田教会が設立されたのは1911(明治44)年3月。前述したドイツの「神言修道会」のフリーゼ神父によって誕生した。旧高田市内の西城町や大手町の、いくつかの民家を仮の聖堂とする時代が続いた。ようやく現在の西城町2丁目に聖堂と司祭館、信者集会所が新築され、教会としての基盤が確立したのは31(昭和6)年のことだった。建設地は近隣地に移転したまま、基礎コンクリートやがれきが残り、廃墟になっていた新潟刑務所高田支所(現上越拘置支所)の跡地だった。カトリック高田教会の創立百周年記念誌(2009年発行)に「廃墟のような空き地は、(当時の上部組織だった)新潟教区のアントン・チェスカ教区長の理解で、3635平方メートルの広い土地が教会用地として購入された」とある。

 

 高田駅から徒歩15分ほどの場所にある刑務所跡地だった教会用地に、法人のルーツになる幼稚園が産声を上げたことになる。

 

 

 

 

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