社会福祉法人風土記<56> 滝乃川学園 下 サービスの多様化 質の向上図る

2020年0122 福祉新聞編集部
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石井慈典理事長(左)、木村隆則常務理事

 1947(昭和22)年、日本国憲法施行。前年12月からララ物資(LARA・アジア救援公認団体)の配給が始まり、何とか飢えからは逃れられた。翌48(昭和23)年の児童福祉法施行によって、滝乃川学園は精神薄弱児施設となる。そして、52(昭和27)年、日本が主権を回復した年に、社会福祉法人の認可を取得し、新しい時代に踏み出すことになった。

 

 滝乃川学園が創設された当時は、知的障害のない児童も対象になっていたが、48年に児童福祉法によって知的障害を持つ児童を受け入れ、その日常生活の支援とともに、地域生活への移行、自立に向けての取り組みを続け現在に至っている。

 

 定員30人とある。林克昌児童部長(41)は「子どもにとってはここが故郷になりますから、私たちスタッフは、みんなが毎日生き生きと、少しでも幸せに暮らせるように務めていますが、限界があります。そこで日ごろから保健医療関係者、ケースワーカーなど、さまざまな専門分野の人にサポートしてもらっています。児童支援施設は原則18歳まで。ここから他の成人支援施設に移って行く子どもには、行く先(施設)で幸せになってもらえると信じて送り出します。そういう子どもから手紙などが来ると本当にうれしいですし、この仕事のやりがいを感じます」と、一層優しい顔になって話した。

 

左から、永田一彦部長、林克昌部長

 

 70(昭和45)年、精神薄弱者更生施設の認可を受け成人部を開設する。現在、障害者支援施設として入所支援80人、グループホームなどからの通所支援55人を合わせて135人に対応しているが、重症心身障害者も10人含まれている。

 

 乾晶子施設長・施設入所支援部長(45)は、「ここへの入所は保護者の方が決めますが、受け入れる私たちは、その人らしく生活してもらうよう心掛けて支援しています。私はこの仕事について20余年になりますが、皆さん感情をストレートに出します。うれしいこと、悲しいこと、怒ることも(笑)。それが私は好きです。でも私たちが語り掛けて働き掛ければ、ちゃんと皆さん態度で返してくれるんですよ。こちら(スタッフ)の都合ではなく、その人に寄り添って待ってあげれば」。

 

左から、本多公恵施設長、乾晶子施設長

 

 続けて現在の課題として入所者の高齢化、重症化があると率直に語る。この成人部の生活介護事業は足浴、散歩、しいたけ販売。森のカフェのお菓子作り、その販売を現在計画中という。

 

 ところで地域と学園はどのように関わりを持っているのか。本多公恵施設長・相談支援センターみなも部長(59)は語る。

 

 初めはパーソナルな支援が求められていると考え、ヘルパー派遣事業からスタート。法律がまだ整っていない2000(平成12)年の開始で全額自己負担でした。

 

 児童短期入所は基本的には障害のある児童の支援。近辺の特別支援学校5校に送迎可能な子どもたちが対象になります。虐待などの緊急な場合の受け入れ枠があるので都内全域が対象です。その他に緊急入所事業として国立市、調布市が実施している一時保護もしています。

 

 園庭に遊具もあり、車も通りませんから、施設の子どもだけでなく地域の子どもも加わってにぎやかです。通所児童の戸外活動が「動」で、臨床心理士による発達検査、個別学習が「静」。動と静を両輪として支援しています。

 

 2002(平成14)年に地域のニーズに応えて第1号のグループホームを開設。現在70人が利用する。永田一彦グループホーム部長(50)は、「このホームで安心して幸せに暮らしてもらうために、入所希望する方の日々の暮らしと思いを、まずご本人、保護者の方から詳しく伺います。その把握が出発点です。そして私たちスタッフは利用する方に対して共感する心、その心情をくみ取る姿勢が求められていることを日々実感します。

 

 私自身この世界に入ったのは、ボランティアでかかわった男の子(福山型先天性筋ジストロフィー)との出会いでしたが、そのご家族との2年ほどの交流が今の仕事の支えにもなっています」と穏やかに語る。

 

 昔からさまざまな形で皇室から支援を受けており、木村隆則常務理事・法人本部長(59)は「平成に入って先の天皇(上皇)皇后(上皇后)両陛下には即位されてすぐに初の福祉施設として、この学園に行幸啓くださいました。その後も上皇后さまにはチャリティーコンサートに何度も足を運んでいただき、そして今度は退位が決まられた一昨年12月には国内最後の福祉施設への行幸啓としてこの学園に。光栄であり入所者、役職員全ての誇りでもあります」と話した。

 

 昨年8月に就任した石井慈典14代理事長(45)は、「石井亮一と血縁があった祖父が他界後の2003年頃、学園に初めて足を運び、その後、縁あって評議員、理事を務めさせてもらい、この大役を担う決断をいたしました」。

 

 国の社会福祉の政策は、2000年代初頭から保護から自立支援へ、施設から地域へ、措置から契約へと大転換され、社会福祉法人のあり方にも大きな影響を与えてきた、と指摘。

 

 「サービスの多様化と質の向上、経営の効率化をはかり、これからも全員で石井亮一・筆子の願い、130年の伝統を大切に、令和の時代にふさわしいサービスを提供させていただきます」と抱負を語る。

 

 

【高野進】

 

 

 

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