社会福祉法人風土記<57> 聖音会 下 新時代へ立て直しの20年

2020年0219 福祉新聞編集部
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左から佐竹敬常務理事・事務局長、小原勉理事長

 神奈川県鎌倉市の社会福祉法人「聖音会」(小原勉理事長)の沿革をたどっている。1961(昭和36)年10月に、鎌倉保育園の「生活保護部」を分離して開設された「綾瀬分園」(現神奈川県綾瀬市)の初代園長は佐竹正道だった。音次郎の次女伸と結婚、52(昭和27)年に法人の初代理事長になった昇の次男になる。昇理事長には3人の男子があり、長男信一は神奈川県民生部に勤務していて、すぐには動けない状況だったことから、厚生省(当時)事務官だった正道が園長になった。現在の法人常務理事で事務局長を務める敬(87)は三男になる。

 

 定員30人だった分園はすぐに満床になったため、2年後に隣接地を買い取って増築工事に取りかかった。分園ではなく、独立採算の施設として自立する必要性があったことと、入所待機者が多いこともあった。増改築で定員が70人になった分園は、63年7月の完成とともに、現在の「綾瀬ホーム」と名前を改めた。

 

 綾瀬ホームはさらに93年4月、狭い敷地と建物老朽化のため、綾瀬市吉岡の現在地に移転新築している。現在の入所・通所者は81人(20年1月現在)で、21歳から86歳まで幅広い年代の人を支援している。この間に園長だった正道が当時の綾瀬町長選に立候補、当選したことから園長職を退き、敬が引き継いだ。現在は敬の三男泰三(47)が施設長を務めている。

 

 法人として次なる事業は高年齢の知的障害者援護施設「さがみ野ホーム」の開設だった。73年5月に故人となった初代理事長、昇(享年73歳)が、生前に知的障害者の高齢化を取り上げ、先駆的な役割に意欲を示していたことから、79年7月にその遺志を具現化した。現在の綾瀬ホームから約4・5キロ離れた綾瀬市深谷中にあり、定員は56人だ。初代園長には綾瀬ホーム園長だった正道が就任。2002年に3代目の施設長になった昇平(56)は正道の長男になる。現在の入所者の平均年齢は73歳。知的障害者のことをより多くの人に知ってもらい、触れ合ってもらおうと、近隣の保育園や小学校との交流が長く続いている。

 

 ところで、戦後の法人の事業には忘れてならないことがある。66(昭和41)年10月に音次郎の出身地だった高知県中村市(現四万十市)にある養護施設「若草園」を法人の「中村支部」にしたことだ。運営していた現地法人が閉鎖を検討した際、地元の熱心な存続運動が起こり、経営の移管先として白羽の矢が立った。若草園は96年に現地の新法人に引き継がれるまで30年間にわたって経営が続けられた。音次郎ゆかりの施設として、その精神が受け継がれ、いまも独自の活動を展開している。

 

 さて、児童養護の鎌倉保育園は65年に園舎を新築したが、コンクリート壁のひび割れや耐震の問題が出てきた。新園舎建設は99年度に「老朽民間社会福祉施設整備国庫補助金」の内示を受け、工事の入札まで済んだ段階で、「不適切な児童処遇問題」が発生、中止を余儀なくされた。職員が入所児童に体罰を繰り返していたというもので、神奈川県知事から施設運営と処遇改善について勧告を受けた。緊急理事会が開かれ、法人理事長兼園長の解任が決定された。新理事長には元県社会福祉協議会事務局長が、さらに現在の小原勉・元県中央児童相談所長(86)が就任した。2002年に法人名を「鎌倉保育の園」から「聖音会」に、児童養護施設を「鎌倉保育園」から「鎌倉児童ホーム」へと変更した。

 

 

綾瀬ホーム

 

 児童ホームの秦晴彦施設長(47)は「音次郎先生の古い時代型の子育てが通用しなくなり、新しい時代に対応する転換期に『不適切な』という指導をいただいた」と振り返り、「負の部分からの立て直しの20年だった」とも話す。音次郎の「息子、娘のように育てる」という精神とキリスト教の教えが底流にあるからこそ、その後の立ち直りは早かった。児童だけでなく、高齢者や障害者支援も実践した音次郎の精神は、綾瀬ホームやさがみ野ホームにも受け継がれた。ちなみに児童ホームの新園舎は03年3月に完成している。

 

さがみ野ホーム

 

【澤晴夫】

 

 

 

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