社会福祉法人風土記<58> 四天王寺福祉事業団 中 敬田院のこころを伝える

2020年0304 福祉新聞編集部
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子どもたちはララ物資で命をつないだ。壁にはララに対する英文の謝辞が張られている(1947年の悲田院)

 砲声は止んだ(1945年8月15日)。四天王寺施薬療病院(大阪市天王寺区)は被災により、悲田院(大阪府南河内郡埴生村)も食糧難から休止状態に。しかし、街頭には戦争孤児、焼け出された母子や老人、行くあてのない復員兵らがあふれている。

 

 終戦翌年、四天王寺福祉事業団は悲田院に養老寮、母子寮、児童寮を復活。大阪市の一時保護所である梅田厚生館から次々と送られてくる。病人は施薬療病院(1948年に天王寺病院、93年に四天王寺病院と改称)で加療ののち入寮した。母子だけで100家族300人にもなっている。子どもを置いて行方知れずになる親もいたという。

 

 並行して1949(昭和24)年には四天王寺のおひざ元である大阪市天王寺区にも保育所(現・四天王寺夕陽丘保育園)と母子寮(その後廃止)を設けた。復興へ向け本格的に動き出したわけだ。

 

 このころ入寮者の栄養を補ったのは米国からのララ(アジア救援公認団体)物資である。施薬療病院は1947(昭和22)年夏、物資の配給ステーションになっていた。粉乳や肉、衣類などにみな一息ついた。

■子どもに学びを

 それでもなお空腹を抱えながら、就学期を迎えても児童寮でぶらぶら日を過ごす姿は痛々しかった。

 

 「あの子たちを学校へ通わせたい」

 

 事業団は地元の小学校校長とともに埴生村と掛け合う。その結果、後述する四天王寺高女(今の中学に相当)の校外学舎(埴生村)を村立小学校悲田院分校として認めてもらい、1947年春開校。1~6年生計66人が入学し、以後、本校に教室が増築されて分校廃止になるまで7年間、近所の子らと机を並べている。

 

 やがて児童寮などに障害児が目につきだす。分校内に1951(昭和26)年、支援学級を設けた。手探りながら個別指導に当たっている。

 

 もともと教育は事業団にとって重要な柱だ。飛鳥時代、四天王寺に配した4院のひとつは敬田院(菩薩のような人間の育成)だった。太子の大切にした大乗仏典「勝鬘経」は女性(インドの王娘)のお釈迦さまへの帰依に始まるお経であるところから、女子教育に重きを置いた。太子1300年御忌の1922(大正11)年に四天王寺高女を創立したのも、それゆえである。

 

 今なお、その伝統を引き継ぎつつ、小学校から短大・大学(大学院)までほぼ男女共学になっているが、宗教法人、学校法人、社会福祉法人が手を携えて歩むのは全国的にも珍しい。

 

 悲田院はその後、お年寄りや子どもなどの棟を分けて運営され、時代の変化に合わせ児童寮はやがて廃止されていく。片や、診療所を設け、医療機関のない地域住民に大変喜ばれた。

 

 しかし、建物の老朽化は避けがたく、1965(昭和40)年、現在地(羽曳野市学園前)へ新築移転。いま特養、養老、児童発達支援センター、保育園の並ぶ総合施設、そして隣地には四天王寺大学などのキャンパスが広がっている。

■介護の先達

 もうひとつの教えに触れておこう。

 

 老年学研究が日本で本格化する1970年代へ突入する2年前。自宅に「老年生活研究所」の看板を掲げたのが、まだ現役だった清水英夫・養老寮長(1910~2000)である。徳島県に生まれ、小学校教諭を経て事業団へ。病院事務職などのあと1953(昭和28)年から退職する72(昭和47)年まで寮長を勤めた(1965年認可の特養施設長も辞めるまで7年間兼任)。

 

 寮母らと研究会を重ね、1970年、月刊誌『老人ホーム』(1975年に『老人生活研究』へ改題)を出す。そのころ介護過程に関する詳しい教科書はなく、「まことに時宜を得たもの」と全国社会福祉協議会の灘尾弘吉会長(1899~1994)は創刊号に祝辞を寄せている。

 

 ホームのあり方、リハビリやADL(日常生活動作)、指導者論、入所者の主体性、認知症――さまざまなテーマで展開し、2001(平成13)年の休刊まで360号を数えた。90歳近くになっても介護研修会の旅を続けた。

 

 「雑誌は引っ張りだこだったようです。当時もいまもケアの課題は本質的には変わっていません」

 

笠原幸子教授

 

 四天王寺大人文社会学部の笠原幸子教授(63)=高齢者福祉=は先見性を評価する。そこには多数による議論を前提にした「和をもって貴しとし」と説く太子の十七条憲法精神が流れているとの指摘もある。

 

左から出口常順師、塚原徳應師、森田禅朗師、坂本徳雄師

 

 「福祉」という言葉になじみがまだ薄い51年から30年余の間、事業団のかじを取ったのは出口常順理事長(四天王寺101世管長)だった。塚原徳應(病院担当常務理事のち副理事長、103世管長)、森田禅朗(医師、107世管長)、坂本徳雄(特養施設長のち理事長、四天王寺長臈)の3師らが役員として実務を担っていく。すでにみな鬼籍の人である。

 

【横田一】

 

 

 

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