社会福祉法人風土記<60>賛育会 中 東京大空襲で全施設全焼、疎開へ

2020年0623 福祉新聞編集部
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清風園(町田)・当時の建物風景(昭和39年)

 1945(昭和20)年が明けると米軍の空襲が一段と激しくなった。2月の空襲では砂町託児所(現江東区砂町)が焼失。3月9日夜から10日未明にかけて東京下町は、B29爆撃機325機による無差別爆撃(東京大空襲)により死者10万人という壊滅的被害を受けた。賛育会病院、錦糸病院、石島病院、乳児院など全施設が全焼したが、職員1人が犠牲となったほかは全員無事でまさに奇跡的だった。入院患者らは、錦糸町駅近くの映画館に担架などで避難し、事なきを得た。乳児院は44年の学童集団疎開に先立って茨城県に疎開していた。

 

 大空襲後、東京の入院・外来の妊婦・乳幼児ら約120人の疎開が始まる。5月に長野県蓼科高原に疎開受託所を開設し、茨城に疎開していた乳児院もここに移転(11月に閉鎖)。6月には長野県上水内郡古間村(現信濃町)に古間診療所、翌年には神郷村豊野(現長野市豊野町)に豊野診療所(豊野病院)を開設、疎開してきた人や地元民のための診療や救済活動を展開する。

 

 一方、東京では空襲の2日後に骨組みだけが残った賛育会病院で病院の解散式を行い退職職員には退職金を2倍にして支給した。「建物強制疎開」による大井病院取り壊しで得た80万円(都からの補償金と日本光学工業(株)への売却代金)が役立った。

 

 空襲後、本部は東大YMCA会館の一室を間借りし機能を死守しつつ敗戦を迎え、やがて復興に立ち向かう。翌46(昭和21)年1月、理事会は賛育会病院の復興を決議し、6月には焼けた賛育会病院のビルを一部板囲いして診療を再開した。

 

 激動期に藤田逸男・第3代理事長を補佐したのが東大在学中からYMCA活動一筋の丹羽昇(1902~72)。丹羽は主事を11年間務め42年に常務理事に就任、44年陸軍に召集され陸軍将校として八丈島守備の任に就き、翌年終戦後に復員、法人に復帰する。

 

 

丹羽昇・常務理事 特養「清風園」初代施設長

 

 丹羽は、病院復興を決めた1月の理事会開催3日前、フィリピン・レイテ島から復員してきた直後の竹岡秀策(元石島病院長)(1901~84)と焼け跡で、〝奇縁の再会〟をし、復興への意を強くする。丹羽が復興を強力に推進し、焼け跡の板囲いの中では竹岡医師を筆頭に助産看護婦2人、何でも屋の事務職員1人の計4人でコンクリートの上に板やゴザを敷いて寝泊まりしながら診療を開始した。

 

 「玄関扉はなく窓はゆがんだ枠のみ。部屋は壁なく間仕切りもなく、往来と直通、建物の周りは雑草の藪。藪の中には泥棒が巣くっていた。野戦に慣れていた私だが、さすがに内心驚いたり呆れたりしたものだった」と軍医将校だった竹岡は回顧している。5年後に病院の修復が完了する。

 

 乳児院復興のために静岡県小笠郡朝比奈村(現御前崎市)に土地を求めた。当地と近隣には入院できる病院がなく地元民からの強い要望に応えて乳児院ではなく入院施設のある病院「東海病院」(のちの東海診療所)を52(昭和27)年に開設、静岡との関わりが始まる。この年、財団法人から社会福祉法人に組織変更した。

 

 昭和30年代に入ると高齢者問題が浮上してくる。賛育会病院でも高齢者の入院増加に伴い、介護を要する高齢者の退院先に苦慮しており、丹羽は「医療機関の賛育会こそが開拓的使命を持って取り組むべき社会問題」として、老人福祉法が公布された翌年の64(昭和39)年7月、特別養護老人ホーム「清風園」(定員100人)を東京都町田市に開設する。現在、特養を9カ所(長野1、静岡2、東京6)経営し、そのほか老健・軽費老人ホーム・認知症対応型共同生活介護施設など多くの事業を展開、訪問看護ステーションの整備なども進め、医療においても更なる充実を目指してきた。

 

賛育会病院(2012年スカイツリー完成当時)

 

 児童分野では、「さんいく保育園清澄白河」「さんいく保育園有明」を江東区で経営し、キリスト教保育を掲げて一人ひとりの子どもが愛され、その子らしく育つことができる保育を実践、賛育会の初心「乳幼児と親へ寄り添う」を貫いている。

 

 特養でもさまざまな事業を実施、子どもたちの居場所づくりとして静岡の東海清風園では駄菓子屋「えびす屋」を運営、紙芝居の上演なども行い親子の憩いの場所にもなり好評だ。町田市の清風園では〝こども食堂〟「にこにこ清風食堂」、長野の豊野清風園では「とよのスマイル幸腹食堂」を〝誰でも食堂〟として開催。2年前に創立100周年を迎えた。

 

【荻原芳明】

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