社会福祉法人風土記<2>東京光の家 下 誇りを持って働ける職場

2015年0527 福祉新聞編集部
田中亮治理事長

 

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 新天地に移転したのをきっかけに、東京光の家は社会の変化に応じた施設整備などに取り組んだ。救護施設を増築、定員を100人、147人と増やし、鍼灸マッサージホームを設置、視覚障害者が自立を目指すために救護施設から授産施設への事業転換も実施した。質の高いサービスを提供し続け、事業は順調に発展、1957(昭和32)年、秋元梅吉理事長は東京都知事賞を、2年後には、厚生大臣賞を受賞した。戦後、他人に譲った点字出版の機械設備が1965(昭和40)年に戻され、点字図書出版再開といううれしい出来事もあった。

 

 1975(昭和50)年2月、秋元理事長は82歳で死去。田中亮治理事長の時代になる。1979(昭和54)年、救護施設の一部を転換し、知的障害やてんかんといった障害を併せ持つ盲重複障害児を受け入れる重度身体障害者更生援護施設(定員50人)を開設した。

 

過激な労組との闘い

 

 このあと、同年9月、事件が起きる。組合を名乗る大勢の男たちが詰め掛け、労働組合結成通知書を突き付けてきたのだ。施設の職員は数名で、あとは支援の者たち。組合は過激で、理事長宅に十数人で押し掛け、近隣の迷惑も顧みず、誹謗中傷の演説やビラ配りをした。「障害者を一カ所に集めて支配、管理することがけしからん」という主張だったと田中理事長はいう。結局は1992(平成4)年に裁判所の勧告による和解という形で終息したが、解決までに13年もの年月がかかった。

 

 東京光の家は、キリスト教精神に基づいて創立されただけに、『神より与えられた命を最善に生かす』の基本精神を掲げる。「利用者一人ひとりの保有能力を最大限に開発」、「すべての人が尊重される共生社会の建設を目指す」を新たな基本理念として定め、今に引き継いでいる。

 

チャリティーコンサートを目指して練習する光バンドのメンバー

チャリティーコンサートを目指して練習する光バンドのメンバー

正秋バンド結成

 

 能力を最大限に開発する姿勢の表れが、「光バンド」。視覚障害を持つ施設の利用者たちは音楽が大好きだ。この中に人並み優れた絶対音感と一度聴いたら瞬時に音を記憶する能力を持ち合わせる天才がいた。16歳の時に岩手県から入所してきた髙橋正秋さん(47)。教えてもらったわけではないのにピアノが弾ける。どんな曲でも一度聴いただけで、弾いてしまう。施設挙げての応援で、彼をリーダーに、「ヤング&レモン」が結成され、「正秋バンド」に受け継がれた。日野市など多摩地方で毎年のようにチャリティーコンサートを開催してきた。会場はいつも満員の盛況。地域貢献の一環として学校などへコンサートの出前もしている。

 

 そして、昨年はバンド結成25周年、新たな出発を期すために「光バンド」と改名した。現在のメンバーは11人。大きな音を出しても外に漏れないような防音装置付き音楽室には、ピアノ、シンセサイザー、ドラムなどの楽器が並ぶ。大型のスピーカーや放送局かと思わせるような録音装置や音響調整装置もある。毎週水曜日の午後は練習日、プロの音楽家の指導を受けながら、9月のチャリティーコンサートに向けて練習に励む。曲ごとに音の強弱やテンポなどで厳しい指導を受ける。OKが出るまで3時間を超すような厳しい練習だが、練習を終えると、正秋さんらメンバーは「楽しかった」と、顔をほころばせる。

 

社福法人批判に怒り

 

 地域のニーズに応えるため2013年1月に知的障害者向けの「光の家就労ホーム」を開設したばかりだ。堅実な法人経営を続けている田中理事長にとって、昨今の日刊紙による社会福祉法人批判は「我慢ならない」という。報道を真に受けた法人の支持者から、あらぬ疑いの目を向けられたこともあったからだ。「内部留保があったにしても、ぜいたくをするためではなく、施設の建て替えなど将来に備えての積み立てだ。経営上当たり前のことでしょう。ましてや理事長ポストに金が動くなどありえない。聞いたこともない」と憤る。

 

 福祉施設は職員の待遇が悪いといわれるが、東京光の家は、全職種の平均に近い給与を出している。常勤130人、非常勤20人、平均勤続年数は10年で、平均給与は30万4000円だ。新しい人事制度を導入するなど経営の近代化に取り組む石渡健太郎常務理事(55)は「現代の職場では機械化により益々、人間の存在感が低下している。社会貢献を実体験でき、人間を相手に、誇りを持って働ける最後の職場というと、福祉施設・ここ東京光の家だと思っている。そして職員のモチベーションを維持するには人生設計ができる賃金も必要だし、それなりに努力している」と語る。その表れだろう。利用者も従業員たちも元気で明るい。【若林 平太】

 

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