原爆小頭症の患者が語る「生」への誓い 寄り添うソーシャルワーカーの存在も

2015年0909 福祉新聞編集部
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自作の詩と絵を楽しそうに見せる川下さん(右)と長岡さん

 広島と長崎に原爆が落とされてから70年。母親の胎内で妊娠早期に被爆した原爆小頭症患者は69歳になり、70年目を生きている。社会の偏見、孤独、高齢化―。患者や家族はさまざまな困難に直面してきた。そんな患者らに寄り添うソーシャルワーカーもいる。生まれる前から戦争の爪痕が刻まれた人生は、生きることの難しさと尊さを教えてくれる。

 

 「母のかえりをまつヒナドリはまつの」。広島市に住む原爆小頭症患者、川下ヒロエさん(69)が作詞した曲『母こぐさの花』の一節だ。2014年3月に92歳で他界した母・兼子さんを恋しがる気持ちが見える。

 

 兼子さんとの二人暮らしが長かった川下さんは「厳しい母でしたが大好き」と笑う。「『何でこんなことができないの』と怒鳴られてばかり。特に、私がお魚を焼いて焦がすと怒られました」。

 

 現在一人暮らし。知的障害があり、耳は聞こえづらい。調理は得意だ。詩を書き、飼っている手乗り文鳥の世話をするのが日課。身の回りのことは自分でできるが、外出時に道に迷うこともある。

 

 学校には通った。障害者の作業所に通ったこともある。でも、「友だちはあまりいない」と川下さん。原爆小頭症と認定されたのは43歳の時。それまでは情報が届いていなかった。娘を思う兼子さんの厳しさは、孤独の裏返しでもあった。

 

生活支えるMSW

 

 原爆小頭症の存在が知られるようになったのは60年代のこと。患者の中には、「被爆」がきょうだいの縁談に差し障る例もあった。偏見を恐れ沈黙する人もいたという。

 

 「大変なところに来てしまったな」。広島市内で病院のソーシャルワーカーとして働いていた村上須賀子さん(70)は、患者とその家族で構成する「きのこ会」の総会に初めて参加した30年あまり前をこう振り返る。

 

 障害者手帳、障害年金―。個々の現況を聞くと、何の援護策にもつながっていないことが判明。川下さん親子の生活史も聞き取った。住まいの確保など、生活のあらゆる問題に向き合った。

 

 自身の足跡をまとめた近著『変化を生みだすソーシャルワーク~ヒロシマMSWの生活史から』(大学教育出版)には、「被爆者に学び、医療ソーシャルワーカーにならせてもらった」と書いた。

 

生きることが反戦

 

 川下さんは原爆への怒りを表に出さない。きのこ会の会長で、原爆小頭症の兄がいる長岡義夫さん(66、広島市)は日頃から川下さんを温かく見守り、「生きることそのものが反戦です」と話す。

 

 親を亡くし、自身も歳を重ね、一人で生きることが難しくなりつつある患者たち。『母こぐさの花』にはこんな一節もある。「小さな花だけど 一生けんめいに いきている」。

 

ことば

 

 原爆小頭症=母親の胎内で妊娠早期に放射線を浴びた被爆者。公式には「近距離早期胎内被爆症候群」と呼ばれる。頭が小さく、知的、身体障害がある。厚生労働省が把握する患者数はピーク時(1992年)に26人だったが、現在は19人。患者数は正確には分かっていない。

 

 きのこ会=原爆小頭症患者6人とその親が65年に結成。陳情の結果、67年に原爆症に認定された。77年に手記『原爆が遺した子ら』(渓水社)を発行。81年には小頭症手当の支給も始まった。要望が実り、2011年から広島市に専任相談員が配置された。(http://homepage1.nifty.com/chockey/kinokokai.html

 

 

 

関連書籍

 

被爆者を援助しつづける医療ソーシャルワーカーたち
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変化を生みだすソーシャルワーク:ヒロシマMSWの生活史から
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