社会福祉法人風土記<49> 大阪自彊館 下 変わる街、変わらぬ福祉

2019年0626 福祉新聞編集部
    • このエントリーをはてなブックマークに追加
吉村和生・理事長(左)と吉村靫生・理事長

 JR大阪環状線新今宮駅は「あいりん地域」の最寄駅だ。「周辺に外国のバックパッカー向けホテルが増えた」と大阪自彊館の木田博之事務局長(58)=第1事業部長兼務。ひと昔前の釜ヶ崎のイメージとは変わりつつある。

 

 

 「進駐軍の命令で大阪駅を整理する。地下道の浮浪者を保護してほしい」

 

 大阪府厚生課の職員が利用者の減少で事業休止中の自彊館へ来たのは終戦翌月の1945(昭和20)年9月のこと。常務理事の吉村敏男(1892~1975)は府に米などを回してもらい、約200人の成人男子を受け入れている。

 

 戦災で家や妻子を失った商店主、特攻くずれ、ぐれん隊…館内の備品を古物商へ売り飛ばす不届き者も。8割は病気(栄養失調)だった。

 

 更生のきっかけにと大阪駅周辺の清掃奉仕を思いつく。100人ほどで作業中、地下道のゴミの山から衰弱した浮浪者の遺体が見つかったという。とんでもない時代であった。

 

 受刑者への対応も頼まれ、更生施設や無料労働紹介所もスタート。支えはアジア救援公認団体(米国、通称RALA)のララ物資と共同募金の配分だった。

 

近代化と暴動

 

 社会福祉法人になった1952(昭和27)年、創始者・中村三徳(1873~1964)は理事長職を辞した。後任の敏男は診療所の新設(1958年)、明治以来の懸案である本館敷地(借地)の買収交渉などに追われた(61年11月完了)。そのさなか戦後最大の第1次西成暴動(同年8月1~5日)がぼっ発する。

 

 老いた日雇い労働者がタクシーにはねられ亡くなった。救急対応の遅れから「見殺しだ」と騒ぎ出す。暴徒は西成署、パトカー、商店などに押しかけ放火、投石。力で警察は制圧した。

 

 館には約500人の利用者がいた。手を出さぬようにと職員は説得して回り、加担者はゼロだった。

 

 以後、規模は別にして、景気の好不況を映し出すように暴動は繰り返された。府・市・警察は釜ヶ崎を「あいりん地区」と改称(1966年)。不就学児、アルコール依存症、結核対策などを検討していく。

 

 1971年に敏男の後の理事長となる陸軍士官学校出=大阪社会事業学校卒=の長男・靫生(1923~2001)、さらに靫生の長男で比較的早く亡くなった和生(1953~2015)が理事長に就く2001(平成13)年にかけて、施設の新築・増設が続いた。近年では直接服薬確認療法(結核)、生活資金貸与、住民も利用する図書館など受託事業を含め幅広く事業を展開している。

 

 とはいえ、法人の基礎を固めた敏男▽官学民一体で「与えられる(消費)福祉」から「共につくる(生産)福祉」への転換を掲げ、全国社会福祉施設経営者協議会の会長を勤めた靫生▽仏教大学(京都市)で福祉を学び、利用者の自立支援に努めた和生と、3代のスタンスは微妙に違う。

 

 しかし、3人の念頭には不安定な生を生きる労働者への思いが常にあった。

 

4事業部制

 

 現在、法人はエリアに分けて4事業部制をとり、14施設を核に運営している。

 

 心身に障害のある人が暮らす救護施設「三徳寮」(定員150人)と、住所のない人が毎日110人ほど出入りする無料低額宿泊施設「三徳生活ケアセンター」(同224人)は、新今宮駅に近い第2事業部。「歳をとった労働者と、就労に関心の薄い若者とに二極化している」。川野元靖・同事業部長(57)は複雑な表情だ。

 

 ケアセンター利用者の約3割は生活保護へつなぎ、アパートなどに入る。しかし「崩れる人が少なくない。利用者の8割はリピーター」と関紀生所長(60)。

 

 三つの救護施設(定員計410人)を擁する第3事業部(滋賀県高島市)と、法人本部ビルに同居の第1事業部「白雲寮」(西成区)にも、要介護の高齢者が目立つ。河原田良明・第3事業部長(58)は「農作業や陶芸、和紙作りなど〝生産する施設〟から社会復帰へと考えているが、介護の重度化は否めない」と話す。

 

 大阪市東淀川区の第4事業部=政田省一部長(59)=では、特別養護老人ホームと障害者支援施設を運営。いずれも定員いっぱいに近い。

 

 「ウチは利用拒否をしません。今後、困窮した外国人労働者を受け入れる時代になるかも」と川端均理事長。靫生理事長に誘われて福祉の世界へ飛び込んだ。和生理事長とは高校時代の友人で、進学塾の経営やタイでビジネスをした経歴を持つ。

 

 

 自彊館と大阪市は週2回、あいりん地域を夜間巡回する。「お風呂入れますよ」と声掛けしながら。ほぼコースに沿って案内してもらった。

 

 日雇い労働者が職探しに集まる「あいりん労働福祉センター」の1階はシャッターを下ろしたまま。老朽化し2025年をメドに建て替える計画だ。周辺では昔のようにワゴン車で手配師が人を集める光景は減り、携帯電話で声掛けする時代という。

 

 「センターの吹き抜けをねぐらにしていた労働者たちの行方がかすんでいくのではないかと心配ですね」。三徳寮の乾康弘・施設長代理(46)がポツリと言った。 

 

 

【横田一】

 

 

 

 

社会福祉法人制度改革の展望と課題
関川 芳孝
大阪公立大学共同出版会 (2019-03-28)
売り上げランキング: 488,878
    • このエントリーをはてなブックマークに追加