ヤン・ヨーステン記念碑

2014年0505 福祉新聞編集部
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ヤン・ヨーステン記念碑

 オランダ人の航海士。ヤン・ヨーステンは名。姓はファン・ローデンスタイン。

 

 オランダ船、リーフデ号に乗り組み、航海長のイギリス人ウィリアム・アダムス(三浦按針)とともに1600(慶長5)年、豊後に漂着した。徳川家康の信任が厚く、江戸城の和田倉門外の内堀端に屋敷を与えられ、日本人と結婚した。この地は八重洲河岸と称された。

 

 ヤン・ヨーステンは家康の外交顧問と通訳として活躍し、アジアでの朱印船貿易に従事した。後にオランダに帰国すべく総督府のあるジャカルタに渡るが、交渉が難航、あきらめて日本に帰ろうとする。

 

 途中、インドシナで船が座礁して1623(元和9)年に死亡した。八重洲は彼の名前に由来する。ヤン・ヨーステンがなまって耶楊子(やようす)。次いで八代洲(やよす)となり、八重洲(やえす)となった。

 

 本来、八重洲は現在の東京駅でいうと丸の内側にあって内堀と外堀の間をそう呼んだ。1884(明治17)年、外堀の呉服橋と鍛冶橋の間に八重洲橋が架けられたが、1914(大正3)年、東京駅が開業すると八重洲橋は撤去された。当時、東京駅への入り口は西側、丸の内側だけだった。

 

 1925年、八重洲橋は再び再建される。1929(昭和4)年、ようやく東側にも乗車券売り場と改札口が設けられる。この時点で駅の西側は八重洲口、東側は八重洲橋口と呼ばれていたが、町名整理で麹町区八重洲町が廃されて丸の内二丁目となった。

 

 戦後、焼け野原に残された東京駅裏は舟の溜り場となっていたが、1948(昭和23)年、埋め立てられて八重洲橋も姿を消した。

 

 そして西側を丸の内口、東側を八重洲口と言いならわされることとなった。

 

 1954年、八重洲口に駅ビルができて大丸デパートが開業。1965年、東海道新幹線のホームが八重洲口側に設置され、それまで裏口でしかなかった八重洲口は面目を一新した。

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