日比谷公園・松本楼と首掛け銀杏

2014年0915 福祉新聞編集部
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140915界隈

 日比谷公園の霞門を入ると左手にレストラン松本楼が見える。1903(明治36)年に陸軍近衛師団の練兵場となっていた大名屋敷跡を東京市が日比谷公園として開園。日本初の都市公園として発足した。

 

 同時に松本楼の営業が始まる。しかし、1923(大正12)年の関東大震災で焼失。その後、復活して太平洋戦争まで日比谷公園のシンボルとなった。

 

 空襲が始まると隣接していた海軍省の宿舎となり、戦後はGHQに接収された。1951(昭和26)年、接収解除後、再スタート。1971年、沖縄返還協定反対デモで中核派の火炎ビンによる焼き打ちにより焼失。2年を要して1973年に再建を果たした。これを機に寄せられた支援に感謝するため毎年9月25日、1500名に限りチャリティー10円カレーが提供されている。益金はユニセフに寄付されている。かつて松本楼には孫文やチャンドラ・ボースも訪れたという。

 

 この右隣りに銀杏の巨木がある。「首掛け銀杏」とも言われ、日比谷見附にあったもの。道路拡張の際に伐採されかかったが、本多静六博士が自分の首を掛けてでも移植を成功させると言ったことから、こう呼ばれている。焼き打ちの痕跡なのか、松本楼に面している枝は焦げたまま繁っていない。

 

 本多静六は1866(慶応2)年、埼玉県久喜市菖蒲町に折原家の第6子として生まれる。1884(明治17)年、東京山林学校(東大農科大学)に入学。1889(明治22)年、元彰義隊隊長、本多敏三郎の娘、詮子と結婚、婿養子となる。東京農林学校(東大農学部)卒業とともにドイツ留学。

 

 ドレスデン工大、ミュンヘン大学に学びドクトルを取得。帰国して東大農学部の助教授、教授となった。造園家として日比谷公園、明治神宮、東京駅前広場、大沼公園(函館)、鶴ヶ城公園(会津若松)、羊山公園(埼玉)、臥竜公園(長野)、卯辰山公園(金沢)、大濠公園(福岡)などの設計を手掛けた。日本公園の父と言われている。

 

140915_3s界隈地図

 

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