重症心身障害児者守る会50周年 記念誌を出版

2014年1215 福祉新聞編集部
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 全国重症心身障害児(者)を守る会(北浦雅子会長)は創立50周年を迎えた記念に編集していた「50年のあゆみ」をこのほど出版した。

 

 同会は1964(昭和39)年6月13日、東京都港区の発明会館に重症児者をもつ親たちが集まり、結成された。

 

 「50年のあゆみ」の中で、当時生まれながらの重複障害児たちは児童福祉法の対象外に置かれ、「肢体不自由児施設に行けば、精薄施設に行けと、精薄施設に行けば、肢体不自由児施設に行け」などと敬遠され、放置されたと記述し、この時代を北浦会長は「重症児は暗闇の中にいた。わたくしたちが生きている間はともかく将来を考えると死ぬときはいっしょにという気持ちにさえなる」(1964年「両親の集い」97号)とつづり、切羽詰まった状況の中での結成だった。

 

 同会は①重症心身障害児(者)に対する立法、法規の改正②在宅児(者)の相談、診療機関の拡充援護指導③在宅児(者)に対するホームヘルパー制度の確立④施設の新設、拡充、補助金の増額--などの事業を行うことになった。

 

 「50年のあゆみ」のあいさつ文の中で北浦会長は「これもひとえに国会議員・行政等関係機関の方々、日頃より重症児者の療育にご尽力いただいております専門の先生方、職員、ボランティアの皆様方のあたたかいご理解とご支援によって、今日、医療・教育・福祉と三位一体となった療育が行われ、重症心身障害児者も一人の人間として豊かな生活が送れるようになりましたことを思いますと、本当に感謝に堪えません。この半世紀を思い返しますと、感慨無量のものがございます」と書いている。

 

 法制化の推進などを決議した1965年の第2回全国大会で、総理大臣の代理として登壇した橋本登美三郎官房長官が用意してあった祝辞は読まず、「みなさんの悲しみを悲しみとし不幸を不幸として受けとるだけの愛情がわれわれ政治家にはなかった」と涙ぐんであいさつしたエピソードも紹介している(写真)。

 

 重症心身障害児療育センターは1969年に完成したが、建設には国、東京都、全国社会福祉協議会を含め多くの人たちが協力した。当時、芸能界で活躍していた森繁久弥、伴淳三郎、花菱アチャコさんらも「あゆみの箱」を持って劇場などを回り、全国的な募金活動を行うなど、まさに“社会の愛の結晶”だったことが記録されている。

 

 草創期から現在までの重症児をもつ親たちの活動の歴史、「生きる」ということの意義を懸命に生きている重症児から学び、社会に伝えようとしてきた親たちの気持ち、それを支えた多くの協力者の熱意が伝わってくる記念誌となっている。

 

 問い合わせは、全国重症心身障害児(者)を守る会(〒154−0005東京都世田谷区三2−30−9☎03・3413・6781)まで。

 

50周年誌の表紙

 

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