被災地研修で予感したアジアの連携 斉藤くるみ・日本社会事業大学教授

2015年0206 福祉新聞編集部
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斉藤さん(左端)と学生たちは現地の支援者とともに津波記念公園を訪れた

 2014年末、スマトラ沖地震から10周年を迎えたインドネシアを訪れた。

 

 同国での減災研究をする立教大学アジア地域研究所特任研究員の高藤洋子氏に同行する形で研修旅行を企画。災害ソーシャルワークや国際協力に興味のある5人の学生(うち1人はろう者)が参加した。

 

 研修では、津波で17万人とも言われる最多の被害者が出たバンダ・アチェを訪問。高藤さんが、地元に聞き取りして制作した紙芝居「ぼくはスモン(津波の意味)」を小中高校などで披露した。

 

 紙芝居では、スマトラ沖地震の時、インドネシアのある島では津波を語り伝える文化があり、皆が高い所に避難したため、被害者が7人だったことを伝えた。

 

 また、バンダ・アチェでは、津波の日に皆の協力で無事に生まれた子どもがおり、「スモン」や「ツナミ」という名が付いたエピソードもあった。

 

 訪問先のある高校では、紙芝居の内容が劇として上演された。日本語とインドネシア語で語られ、歌われ、それを見つめる日本の学生たちの姿は、地元のテレビで映し出された。

 

 また、日本語学校の子どもたちが澄んだ声で日本語の歌を歌ってくれたり、突然「日本手話」を披露してくれたりもした。島の文化を尊重し皆で頭にヒジャーブをかぶったり、トイレで瓶の水を桶でくんで使ったりする体験もした。

 

 崩れたままの病院、避難所になったモスク、建物に乗り上げた舟。そして、津波の後に売られた子どもを探すNPOの人たち、津波のとき義足になった少女、紙芝居に見入る生き生きとした子どもたちも忘れられない。

 

 研修を通し、聞こえる学生はろうの学生と助け合って生活することで手話の腕を上げた。インドネシア語しか通じない環境ではすべての学生がコミュニケーションの障がいを体験した。

 

 インドネシア手話と日本手話は全く違うものの、ろうの学生が特別支援学校のろうの子どもたちと何とか話ができていたことはろう者同士のアジアの連帯を予感させた。

 

 今回の研修で、学生が驚きとともに心に刻んだものが、国際性の高いソーシャルワーカーとなって実を結ぶことを信じている

 

 

 

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