官庁街の成立② 関東大震災で壊滅

2015年0410 福祉新聞編集部
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文部科学省の外観
文部科学省の外観

 大手町の官庁群が霞が関に集中することになったきっかけは、1923(大正12)年に発生した関東大震災である。大手町付近の諸官庁は、明治の風潮ですべて西洋風のレンガ造りに建て替えられていたから地震にはめっぽう弱かった。

 

 司法省(ドイツ人エンデ、ベックマン設計)と建設中の帝国ホテル(米国人ライト設計)、東京駅(辰野金吾設計)、海軍省(英国人コンドル設計)を除いて、大手町の官庁はほぼ壊滅状態となった。

 

 政府はすでに、国会議事堂の最終所在地を広島・浅野藩邸跡(現在地)に決定し、官庁を周辺の霞が関に集中させる方針を立てていた。1897(明治30)年、内務省に議院建築計画調査委員会が設けられ、1919(大正8)年に公募によって設計を決定。翌年に地鎮祭を行い、1936(昭和11)年の竣工を予定していた。

 

 大震災後、各省庁は仮庁舎を建てて一時をしのいだが、堅牢な鉄筋コンクリート建築をもって霞が関移転を計画した。

 

国会周辺に官庁集中

 

 まず1931(昭和6)年に警視庁が、1933(昭和8)年には内務省が、大手町からそれぞれ現在地の越前・松平、大垣・戸田藩邸跡に移転した。ついで延岡・内藤藩邸跡には同年、現文科省が建設されて移転。これの隣接地には1935(昭和10)年に会計検査院が建設された。大蔵省は遅れて1938(昭和13)年に鳥取・池田藩邸跡に移転、建設された。

 

 農商務省は1882(明治15)年、大手町で設立され、1891(明治24)年、木挽町に移り、再び1924(大正13)年、大手町の仮庁舎に戻った。戦後、1957(昭和32)年、旧海軍省跡に建てられた中央合同庁舎第1号館に入居し、今日に至る。

 

 防衛庁は、1956(昭和31)年、松代・真田藩邸跡に建設されたが、1960(昭和35)年、米軍に接収されていた、旧陸軍歩兵第一連隊跡(現六本木・ミッドタウン)が日本に返還されたことを機に移転、さらに2000(平成12)年、市ケ谷の陸軍士官学校跡に庁舎を新築した。

 

 通産省(経産省)は農商務省から1925(大正14)年に分離。商工省として木挽町に設立されたが、戦災で庁舎を焼失。霞が関で焼失をまぬがれた会計検査院に一時避難したあと、1960(昭和35)年に防衛庁跡に移転した。これを1978(昭和53)年に取り壊し、1985(昭和60)年、通産省総合庁舎に建て替え、今日に至っている。

 

 厚生省は、その前身である内務省の外局として設立された後、1938(昭和13)年1月に霞が関に移転した内務省で発足する。同年4月に大手町の内濠沿いの社会局庁舎(のちの労働省)に戻る。その後1944(昭和19)年に国立公衆衛生院に移転した。これは関東大震災に際し米国ロックフェラー財団からの寄付で設立されたもの。戦後、1947(昭和22)年、旧海軍省が廃止されたので、その跡に移った。そして1964(昭和39)年中央合同庁舎1号館の北別館に移転、1986(昭和61)年、現在の中央合同庁舎5号館に落ち着いた。

 

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