社会福祉法人風土記<31>沖縄コロニー 中 本土復帰を機に医療にも拡大

2017年1214 福祉新聞編集部
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診療中の野村実医師(浦添厚生診療所、1973年4月=『沖縄コロニー40周年記念誌』)

 「治ったけど仕事がない」。手術や薬などで1960年代、沖縄の結核新患数は減っていく。それとともに沖縄療友会(社会福祉法人沖縄コロニーの前身)へ届くのは、こんな声であった。失業率は高く、日雇いの肉体労働で病をぶり返す例も少なくないと当時の新聞は伝えている。

 

 結核回復者の自立は、熊本県コロニー協会(熊本市)の4人が戦災の傷痕生々しい1949(昭和24)年、印刷会社を興したのが最初とされる。うねりは青森、山形、東京などへ拡大。1961年、回復者と医師による第1回全国大会(東京)で「全国コロニー協議会」が産声を上げた。障害者の「完全参加と平等」を掲げた一般社団法人「ゼンコロ」(東京)のルーツだ。初の全国大会には療友会から当時の山城永盛常務理事(1927~2017)も出席している(加盟は2年後)。

 

米国人の寄付で

 

 しかし米民政府下、医療も福祉も遅れたまま。琉球政府独自の福祉3法(児童福祉法、生活保護法、身体障害者福祉法)ができたのは1953年、本土より4~7年は後だ。母子手帳も61年にやっと始まった。

 

 療友会は民間の南方同胞援護会(1956~73年)などへ働き掛け、60(昭和35)年、本土へ職業訓練(その頃は職業リハビリテーションと言った)に8人の〝留学生〟(研修1年間)を送り出す。帰島を待って彼らを指導員に、那覇市の補助金などで授産事業の和文タイプ・謄写版印刷を始めたのは2年後だった。

 

 さらに7年たった1969年、米軍嘉手納基地の将校婦人クラブからの寄付2万4000ドルに助けられ、結核補導授産センター(浦添市)を建てて本格的な機械印刷へ。後の社会事業授産施設「沖縄コロニー印刷所」。一時は島内で五指に数えられた印刷事業所である。

 

 一方、県民の健康生活向上に山城常務理事は諸団体と協力、「公衆衛生協会」を設立(1969年)している。初代の事務局長に就いた。

 

 一大転機は72年5月にやってきた。「沖縄の返還なくしてわが国の戦後は終わらない」。日本の首相として初めて訪沖した佐藤栄作首相(1901~75)がステートメントを那覇空港で読み上げて8年目、施政権は日本へ戻された。

 

 沖縄療友会にとって新たな船出であった。社会福祉法人「沖縄県厚生事業協会」へ衣替えし、射程を福祉(身体障害者、高齢者)、そして無医地区の多い医療へ広げた。より人間的な生を求めて。その一つが無料・低額で住民を検診・診察した「浦添厚生診療所」(1972~83年)。サトウキビ畑の中に建て、復帰4カ月後に診察をスタート。医師会のやろうとしなかった夜も。

 

夜間は乳幼児

 

 「夜間診療の患者の八~九割は、乳幼児」「社会福祉施設のいずれもが、本土の全国平均に比べて格段の貧しさを示しているのに反して婦人保護施設だけが…うわまわっている」「母子世帯が…著しく多い」

 

 初代所長として2年半勤めた野村実医師(1901~96)は自著『医療のこころ』(川島書店)で窮状をこう記す。ゼンコロ加盟の「東京コロニー」(中野区)理事長を28年、ゼンコロ会長も23年続けた結核専門医。アフリカに病院をつくったシュバイツァー博士(1875~1965)の 『水と原生林のはざまで』(岩波文庫)の翻訳者としても有名だ。父の出身地が琉球列島奄美大島だと口にするのを「最近〔1972年〕まで」はばかってきたことを同じ自著の中で恥じている(「差別するもの、されるもの」)。

 

 「穏やかで立派な人でした。ともかく患者に親切で」(法人評議員の新垣悦子さん)。病院に泣き寝入りせぬよう領収書をもらう〝病者の権利〟まで説いたという。

 

 赤字続きの診療所は、琉球王朝最後の王の孫だった歌人、井伊文子さん(1917~2004)の歌文集『佛桑花燃ゆ』(燈影舎)の印税100余万円を基金にした。東京に生まれ、滋賀県彦根の井伊家へ嫁ぎ、自身も11年間、結核に苦しんだ。本土を守るため島民の4人に1人(約14万人)が犠牲になったのは「ただただ頭をたれ、償いきれることでは絶対にない」(『仏桑華の花ひらく』)と胸をつまらせつつ、生涯温かな目で法人を見守った。

 

井伊文子さん

 

 「琉球政府に福祉予算は少なかった。運営は自主財源か寄付頼み。復帰前、沖縄に制度のなかった関係で老齢福祉年金を満額受け取れないお年寄りなど格差は残っている。しかし、復帰後は補助金も措置費も本土並みになり、経営は安定してきた」と、比嘉栄治・法人事務局長(59)=ケアハウス「ありあけの里」所長。

 

比嘉事務局長

 

 米側の協力で結核事情や幼児死亡率などは次第に改善。事業の重点は身体障害者や元那覇保健所看護課長の金城妙子さん(1916~2016)=99年ナイチンゲール記章受章=を初代所長に迎えた特養「ありあけの里」(77年)など高齢者、児童のケアへ移っていく。  

 

金城妙子さん

 

【横田一】

 

 

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