社会福祉法人風土記<53> 札幌慈啓会 下 次の100年に向けた共生(ともいき)

2019年1030 福祉新聞編集部
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札幌慈啓会本部の全景。手前から特養、病院、老健、左奥が養護

 特別養護老人ホームの施設長だった太田真琴・現理事長(70)は、寺を継ぐ予定だった兄が不慮の事故に見舞われたことにより、父・新善光寺第5世住職太田隆賢上人(第8代法人理事長)に急きょ寺に呼び戻され、1991(平成3)年6月に法人を退職した。法人の経営する慈啓会病院の人件費が増大し病院収支が急激に悪化、法人は打開策を模索している最中だった。

 

 「福祉一筋で生きていく覚悟でやっていました。一施設長の立場でしたが、危機を乗り切るために自分なりに全力で取り組んでいた矢先の、父からの〝法人退職・寺専念命令〟でしたから、断腸の思いでしたね」と太田理事長は振り返る。法人の母体・新善光寺は北海道における浄土宗本山であり札幌開拓時からの歴史ある名刹。数多くの檀信徒もいる。兄が継げなくなった今、宿命として受け入れざるを得なかった。

 

 ところが翌年9月、隆賢上人が77歳で急逝し、真琴師が新善光寺第6世住職となり、11月には第9代理事長として法人に復帰する。

 

 

太田真琴
現理事長・6世住職

 

 92年度病院決算は3598万円の赤字で累積赤字は2億円を超え、病院経営は行き詰まり、法人そのものの存続さえ危ぶまれる状況に陥っていた。調査分析機関からは組織拡大に伴う無責任体質が主な原因と指摘されたが、有効な解決策もなく、役員の間では「病院廃止やむなし」の方向で固まりつつあった。

 

 「本当にそれでいいのかと自問し悩み、職員の声を聴くと施設長時代とは違うものも見えてきて、改めて法人そのものがマンネリ化し硬直していることを痛感した」と真琴理事長は言う。

 

 翌年(平成5年)、佐藤保則・副病院長(現名誉病院長、81)が病院長に就任。「難局打開のために各種対策委員会などで検討を進めてきたが、『ぬるま湯的で、もう病院はダメだ、病院を止めよう』とまで思い詰めた。そのとき、病院草創期の嘱託医でもあり法人を支援し続けてきた恩師・和田武雄札幌医科大学元学長(1914~1999)に『君は医者だから何とかなるだろう、だが法人はどうなる? 理事長は法人を投げ出すわけにはいかない。腹を割って2人で話をしたらどうだ』と言われ、2人だけの〝居酒屋談義〟が持たれた。佐藤病院長の真剣な〝やる気〟を全身に受けた太田真琴理事長は一言、『互いにやっていきましょう!』で病院再建への道が開いた」(『札幌慈啓会80年史』)。「既に病院継続の覚悟を決めて話をした」と真琴理事長は言う。

 

 その談義後、理事長は全職員に号令を発し、病院長は180度方向を転換し勇気と決断をもって臨んだ。意気に感じた職員が残って病院の雰囲気はガラリと変わった。病院決算は次年度から黒字に転じ、勝藤成規・専務理事(84)の徹底した経営分析と事業整理も功を奏して、累積赤字は96年度に解消し法人の財政再建が成った。

 

 2000(平成12)年に介護保険制度が実施され、特養の個室化、ユニット化など「平成の大改革」が進むなか、法人は役員と職員が一丸となって対応していく。老人保健施設、ふれあいの郷養護老人ホーム、地域包括支援センターなどの開設、特養も新型特養に生まれ変わり、病院の増改築も完成。14年に「啓明ともいき保育園」を開設し、児童福祉分野にも活動の輪を広げた。

 

 法人は数度存続の危機を迎えたが、多くの人たちに支えられて乗り越えてきた。「法人が1世紀近く続いてきた理由の一つは、やるべきことを着実にやって歩んできたことだと実感しています。今後法人を背負っていく若い人たちもそうあってほしい」と加藤敏彦・専務理事(64)は語り、「職員は皆優秀で真面目です。欲を言えば〝やる気〟を前面に出して私たちを困らせるくらいでもいい」と鈴木俊彦・事務局長(68)は言う。

 

 法人の理念は、浄土宗の教え 「共生(ともいき)」で、すべてのいのちに寄り添い、共に生き続けることを高らかに謳うたっている。太田真琴理事長は「医療と福祉の連携、言うは易しですが、病院は〝縦〟組織で福祉施設は〝横〟組織ともいえ、組織としては連携の難しさが常に課題としてあります。丁寧に縦横を紡ぎながら、次の100年につなげていきたい」と語る。

 

【荻原芳明】

 

 

 

 

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