障害者という人はいない
日浦美智江・十愛療育会長

2012年1105 福祉新聞編集部
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 「地域で暮らす」ことが、障害のある人たちの暮らしとして当たり前なのだということが言われ始めて何年たったのだろうか。日本でこの言葉が耳に入るようになったのは1981年の国際障害者年が大きなきっかけではなかったかと思う。

 

 いわゆる座敷牢と呼ばれる生活から、小さく閉ざされた社会ではあっても他の人との出会いがある入所施設での生活が生まれ、そしてそれが障害のある人たちの当たり前の生活として長い年月続いた。

 

 1970年代、北欧から吹いたノーマライゼーションの風は障害者の生き方に大きな変化を起こした。入所施設の中で保護するのではなく、例え危険が伴ったとしても一人の市民として、地域社会で暮らすことが人としての幸せではないかという本人、家族の声が私たちと同じように「地域で暮らす」道を拓き、支援制度も生まれサービスも生まれた。

 

 では障害のある人たちが、社会の中で、私たちと同じようにポジションを持ち一市民として今普通に暮らせるようになったのだろうか。

 

 先般、大阪地方裁判所は姉を殺した42歳のアスペルガー症候群の青年に、社会に被告の障害に対応できる受け皿が用意されていない、長期間刑務所に収容することが社会の秩序の維持につながると、求刑を超えた20年の判決を行った。重症心身障害児の施設見学でこの子らに人格があるのか、と問うた高名な方の話もある。知らないということが誤解を生み、誤解が偏見や差別を生む。

 

 今も障害者施設建設の話があると地域の反対は珍しくない。グループホーム、ケアホームへの反対の声も聞く。9月22日に内閣府が発表した「障害者に関する世論調査」によると世の中の障害者への差別偏見が「あると思う」と答えた人は「少しはある」を含めて89・2%であった。いくら本人たちが望んでも地域社会がノーと言えば地域での生活を営む道は閉ざされてしまう現実が依然としてある。

 

 びわこ学園の創始者糸賀一雄先生の「この子らを世の光に」という言葉の真実を思うとき、光は世に出て見えなくては世の光にはなれない、光と出会える社会にならなくてはと思ってきた。「光」は世に出てきた。「光」に出会う機会も増えてきた。障害者という人はいない。

 

 一人ひとりに名前がある。本人と人々が出会える機会をできるだけ多くつくり、出会いの中で生まれる一つ一つのエピソードを語り伝えていく、そのことこそが障害のある人たちの本当の理解につながり、「普通の暮らし」をつくっていく礎になるのだと重い障害の人たちと歩きながら学んできた。

 

 一見遠回りのように見える道だが、私たち関係者が一人ひとりの持つ特性と魅力を丁寧に人々に伝えていく、そのことが心と心をつなぎ、制度や法律に血を通わせるのだと思うのである。

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