繰り返される災害
中根超信・ビハーラ本願寺施設長

2013年0603 福祉新聞編集部
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 2012年も全国各地で異常気象による災害が起こりました。京都府城陽市や隣接する宇治市でも8月、豪雨による土砂崩れや家屋浸水に見舞われました。とりわけ城陽市は、大規模公共施設の機械室浸水で長期間イベントが開けないという被害がありました。こうした折の8月28日、城陽市長と社会福祉法人ビハーラ本願寺理事長との間で災害時の「福祉避難所」指定の締結式を行いました。

 89年前の大正12年9月1日の関東大震災は、西本願寺の社会福祉事業が単なる慈善事業から脱皮するきっかけになりました。1年にわたり日比谷公園に設けた罹災者救護所の医療活動を通して、これまでの金品や物資を送るだけの助け合い運動から、持続的な社会福祉(医療福祉)事業へ進ませ、単に物質的なものではなく精神的な心のケアのビハーラ運動(サンスクリット語の休息場所)へと発展して間もなく30年になります。

 その中心になられた先覚者が歌人でもある九条武子さまで、関東大震災の折は、築地本願寺境内に居住されていました。その活動の模様を「あそか会60年史」には友人へお手紙で伝えています。

 「地震は間断なくゆらゆらとゆれどおし。その間にも深川本所全滅の悲報が伝えられましたし、火の手は、どこに、かしこにと、物凄い有様で御座いましたもの、それがみんな、こちらが風上になっておりますので、つい油断しておりました。つまり大火にあった経験のない為でございます。電話は切れて、方々の様子はわかりませず、水道は断水でしたし、考えてみれば、この火は全市襲ふかもしれぬぐらいは予想できますものを、ほんとに私どもは今から思えば馬鹿で御座いました。(中略)本堂が火になった時に、死にに来た二人のお婆さんが御座いました由。それがきれいな白骨になって、翌朝出てまいりましたとのこと。その他、逃げ遅れの死亡が7つ、8つ出たそうで御座います。まあ考えてみますと、私どもはよっぽど仏様の御加護があって、幸いに助かった幸福者で御座います(後略)」。

 この手紙でも武子さまは自ら被災され「改めて生まれかわった様な心持」と語っておりました。そして被災の衝撃が、その後の震災でなにもかも失った人々への救済に向かったのでした。

 主な活動内容の一つが歳末無料診療で、第一回目は大正12年12月27日から2日間実施されました。診療は午前10時から夕方まで6地域でした。約50家族を訪問診療されました。第二回目は10日間、第三回目は12日間で、スタッフはいずれも武子さまと医師、看護婦など約10人でした。この事業が発展して昭和5年11月、社会福祉法人あそか病院(現在の東京都江東区)開設につながりました。

 このほか非行少女の更生施設「六華園」の創設や臨時幼稚園、子ども学校、看護学校などでした。資金は西本願寺関係寺院に呼びかけた「関東罹災児童愛護袋」募金でした。約1カ月後、当時の金で20万円集めています。こうした武子さまの仏教福祉精神に基づく活動が、今日の本願寺の社会福祉事業の基盤になったのです。

 21世紀は心の時代と言われています。私たちは心のケア、ビハーラ活動を中心に、西本願寺関係社会福祉施設869施設で活動しています。これらの施設が今後、地域福祉活動の拠点となることが期待されます。

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