生きづらさを抱えた子
桑原教修・舞鶴学園園長

2013年0701 福祉新聞編集部
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 私と福祉との出会いは、エネルギー革命によって石炭からガソリンとなり炭鉱が閉山されていった時代、筑豊のボタ山で出会ったエネルギッシュな子どもたちに始まる。

 
 その体験を通して〈生活保護〉〈児童相談所〉〈児童養護施設〉を知った。東京オリンピックを契機に高度経済成長を遂げようと懸命であった日本社会、その陰で貧困が社会を覆っていた時代である。

 

 児童福祉の世界はさらに貧困であった。我が国では戦災孤児対策として戦後いち早く児童福祉法が制定され、現在の児童養護施設が誕生した。以来65年余、各時代の要請に応えて社会的養護の役割を担ってきた児童養護施設が、虐待の顕在化が指摘されるようになってから被虐待や発達に課題を抱えた子どもたちで悲鳴を上げている。

 

 家族の養育機能の脆弱化が指摘され、個人の文化や価値観が優先し、地域社会の内発力や包括力が減退して、ほど良い依存や協同が生まれにくいバランスを欠いた社会と化したように思える。今日、子ども虐待通告件数は増加の一途をたどっているが、これも氷山の一角といわれる。今後ますます社会的養護を必要とする子どもたちが増えていくことは想像に難くない。

 

 人は、生まれ来る条件によってその育ちの保障が変わってはならない。子どもたちの自立は生まれてからの育みがその土台にあって、初めてその力を培っていく。その基底は日々の〈生活のいとなみ〉にある。家庭にあっても施設にあってもそのことは保障されなければならない。施設が一般のそれよりも劣っていいはずはない。

 

 施設で暮らす子どもたちは、家庭で暮らすという子ども時代の育ちの条件がかなわないままに生きづらさを強いられている。それは決して子どものせいではない。施設では乳児期の愛着課題から児童福祉法でいう18歳の自立年齢要件の見直しに至るまで、大切な課題が山積している。

 

 そうした状況を捨て置けない思いから施設現場に就くスタッフの善意だけでは、現行の制度施策は維持できなくなっていることに切実感を持っていただきたい。これ以上、子どもや大人に犠牲を強いてはならないと思うのである。エネルギー問題で原発が話題となっている今日、人への思いやりを欠いた社会に突き進まぬように強く願っている。

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