前島密の胸像

2013年0902 福祉新聞編集部
    • このエントリーをはてなブックマークに追加

 日本郵政(千代田区霞が関1丁目)1階ロビーにあって「郵政」を見守り続ける。

 

 前島密は1835(天保6)年、現新潟県上越市に生まれた。豪農・上野助右衛門の二男で幼名は辰五郎。14歳の時に江戸に出て医学を修め、蘭学、英語を学ぶ。23歳の折には航海術を学ぶために函館に赴いた。生家が豊かであったため、広範囲の学問を修めることができた。

 

   1866(慶応2)年、幕臣の前島家の養子となり前島来輔を名乗る。外国語を学んだ経験から平仮名を国字とする漢字廃止論者となり、徳川慶喜に漢字廃止の儀を提案する。また、大久保利通らが進めていた大阪遷都に異を唱え、江戸遷都を建白したことでも知られている。

 

   1869(明治2)年、新政府の招請に応じ民部、大蔵省に出仕。翌年、郵政制度を視察するため英国に渡る。2年後には、駅逓頭となり近代郵政制度の基礎を確立する。

 

   1879(明治12)年には内務省駅逓総監に登り詰める。その2年後、官を辞し大隈重信と共に立憲改進党を創立。後に東京専門学校(現早稲田大学)校長となった。1888(明治21)年、請われて逓信次官に就任。官営電話交換制度を実施した。

 

   この胸像の横に生家跡に建てられた碑の写真が掲げられている。表面は密と親交のあった渋沢栄一の手による「男爵前島密君生誕之処」。裏面は同郷出身の読売新聞社主筆、市島謙吉による事績文。原案文は同じく同郷の文学者・会津八一が書いた。

 

   いまだに1円切手には郵政事業への貢献を評価して密の肖像が用いられている。(松)

    • このエントリーをはてなブックマークに追加