国会議事堂の変遷

2013年1104 福祉新聞編集部
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 明治22(1889)年2月11日、大日本帝国憲法が発布され、翌年11月に第1回帝国議会が開催された。そのため第1次仮議事堂がドイツの建築家アドルフ・ステヒミューラと技師、吉井茂則の設計により建設された。場所は経済産業省の敷地内の麹町区内幸町2丁目1番地である。当日の東京日日新聞(毎日新聞)は次のように伝えている。

 

 「二十五日曙の空ほのぼのと明初めて午前七時ともなる頃、両議院の門前は早や人の山をなせり。予ての手筈にや警吏は院の門外より、一方は練兵場に、一方は新しい橋を渡りて久保町通りの四辻まで五十米を隔てて警備し、猶往来の雑踏を制せんとてか往還の道路を左右に分けて通行せしめぬ。総ての体口喜々たる裏に、厳嘯々たる様ありて、あわれ第一期帝国議会召集の景況よと見受けられたり。(略)貴族院なるは多くは馬車にて、衆議院なるは力車なり。」

 

 11月29日、明治天皇臨席のもとに開院式が行われた。ところが会期中の翌明治24年1月20日に出火、ペンキ塗り木造建物は、ほとんど全焼してしまう。このため貴族院は虎の門の鹿鳴館跡の華族会館に移り、衆議院は工部大学校跡の東京女学館に移った。

 

 焼失跡への第2次仮議事堂は技師、吉井茂則とドイツ人建築家オスカル・チーツェの設計により明治24年に完成。

 

 木造二階建て延べ4845坪であった。この仮議事堂は大正14(1925)年まで使用され、関東大震災での倒壊もまぬかれた。しかし、その後、修繕工事中の大正14年9月18日に出火。再び焼失した。第51回帝国議会開会目前のため営繕管理局は不眠不休の工事を進め、80余日後の12月に第3次仮議事堂の完成にこぎつけた。木造二階建て延べ6304坪であった。昭和11(1936)年5月の第59回帝国議会まで使用された。

 

 現在の国会議事堂はいわば本議事堂で、公募による案をもとに設計された。大正9(1920)年に地鎮祭から17年の工期をかけて昭和11(1936)年11月7日に千代田区永田町1丁目に竣工した。すべて国産建材を使用して建築されたもの。鉄筋コンクリート三階建て延べ5807坪。

 

 四つの国会議事堂のほかに広島に仮議事堂が建てられた。明治27(1894)年の日清戦争の際、明治天皇が広島に滞在中に議会が召集され、第五師団練兵場に仮議事堂が建設された。

 

 9月27日に着工。10月14日に完成させたもので木材、竹材、布によるバラック建で延べ718坪だったという。(松)

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