内幸町・ 東京府と東京市

2014年0120 福祉新聞編集部
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 現在、日比谷公園となっている場所には江戸時代、毛利藩、鍋島藩、南部藩などの上屋敷があった。その桜田門寄りの区画には上杉藩、相馬藩の上屋敷が連なっていた。明治になって、この一帯が陸軍の練兵場となった。その後半分が公園となり、残り半分は現在、法務省、厚生労働省などの官庁街に姿を変えた。

 

 現在の日比谷公会堂の筋向いは内幸町で、日土地内幸町ビル、日比谷ダイビルがある。ここはもと、大和郡山藩(柳沢家)の上屋敷跡で、1868(明治元)年に政府が接収して東京府庁が設けられた。府庁が現在の東京フォーラム(丸の内3丁目)に移転するのは1889(明治22)年のことである。

 

 同時に東京市が発足し、府知事が市長を兼任することとなった。市内は麹町、神田、日本橋、京橋、芝、麻布、赤坂、四谷、牛込、小石川、本郷、下谷、浅草、本所、深川の15区であった。

 

 1894(明治27)年、麹町区有楽町(丸の内3丁目)に市庁舎が府庁舎との合同庁舎として完成した。ドイツ・ルネサンス調のレンガ造りであったが、戦災で焼失する。

 

 1898(明治31)年、内務省は市に一般市政を施行し、市長職を独立させ、初代市長に松田秀雄を任命した。本格的に市政が開始される。

 

 1943(昭和18)年、太平洋戦争に突入すると行政の効率化を目指して府と市が合併。東京都が設立される。以後、東京都長官が都政を司った。

 

 戦後、新しい都庁舎は丸の内3丁目に建て替えられる。設計は丹下健三。玄関脇には狩装束の太田道灌像(朝倉文夫作)が置かれた。

 

 1990(平成2)年に都域が西部地区に拡大していることを考慮して西新宿2丁目に都庁は移転し、今に至る。東京都章は東京市発足時の市章(東をデザイン化)を継承している。銀杏の葉はシンボルマークとして1966(昭和41)年に制定されたもの。

 

 内幸町の府庁に隣り合わせで1881(明治14)年に本郷元町から移転してきた東京府第一中学校があった。その後、1899(明治32)年に現在の検察庁の場所(西日比谷)に移転する。さらに永田町に移転するのは1929(昭和4)年のことで、都立日比谷高校を名乗るのは戦後の1950(昭和25)年に至ってからである。(松)

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