尚友会館

2013年0429 福祉新聞編集部
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 旧憲法時代の国会は貴族院と衆議院の二院制で、尚友会館はこの貴族院にゆかりが深い。

 

   貴族院には有力会派として「研究会」、後に子爵議員の選挙母体として尚友会(さかのぼって人を友とする)が結成された。

 

   1928(昭和3)年には親睦を目的とする社団法人の尚友倶楽部が設立され、その会館は現在地の南隣の旧麹町区三年町に建設された。会館には研究会、尚友会も入居した。新霞が関ビル建設に伴い、1985(昭和60)年に現在地に移り地上8階建てのビルに建て直された。

 

   江戸時代以前、この地は武田氏の家臣、内藤修理亮が霞関山・本覚院大宗寺を創建。霞が関の地名となったといわれる。坂道は悪路で、「この坂で転ぶと3年のうちに死ぬ」との俗信から三年町の名ができたという。

 

   戦後、貴族院は廃止され、研究会も尚友会も解散、尚友倶楽部に合流する。当時の研究会の会員は伯爵議員18名、子爵議員66名、勅選議員25名、多額納税議員33名の計142名だった。以来、尚友倶楽部は社団法人として、尚友会館の経営、国際交流、文化事業、社会福祉事業を支援する団体となり、2012(平成24)年10月1日には一般社団法人に移行した。(松)

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