工部大学校跡 

2013年0617 福祉新聞編集部
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 工部大学校は、工部省の技術者養成学校。1871年に工学寮、1877年に工部大学校に改称した。1885年に工部省の廃止に伴い、東京大学工芸学部と合併、東京大学工学部となった。

 

   初代校長には幕臣で箱館戦争で反政府の陸軍奉行だった大鳥圭介があたり、教授陣にはイギリス人で綱町三井倶楽部、岩崎本邸、島津家袖ヶ崎邸(清泉女子大学)を設計したジョサイア・コンドルを迎えた。卒業生には東京駅を設計した辰野金吾、タカジアスターゼを発見した髙峰譲吉など多数。

 

   のちに、第一講座は中村達太郎、第二講座は辰野金吾、第三講座は伊東忠太が担当した。工部大学校は虎の門工部大学校と呼ばれたが、霞が関3丁目の内藤家(延岡)上屋敷跡にあった。この碑も旧会計検査院の右横にあったものをコモンゲートの建設に伴い、国立教育会館跡に移転したものである。(松)

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