東京パラ(6)水泳 小山恭輔選手 自分には水泳しかない

2019年0404 福祉新聞編集部
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小山恭輔 選手

 「オーケー! ユアクラスイズセブン」。

 

 2018年6月にドイツで行われた国際パラリンピック委員会によるクラス分け会場。パラ水泳バタフライのS6で国内敵なしだった小山恭輔選手(31)は、一つ上のクラスへの変更を宣告された。笑顔で親指を立てる判定員を見ながら、すーっと血の気が引くのを感じたという。「もう、終わりだ」。

 

 小山選手はこれまでパラリンピックに3回出場している。

 

 最初は、日本社会事業大の学生として出場した08年の北京大会だった。中学の時に脳梗塞で右半身にまひが残り、リハビリで始めた水泳がメキメキと上達した。「勢いで取った銀メダル。当時は怖いものなんてなかった」。

 

 12年のロンドン大会でも銅メダル。その後、日鉄住金P&E(株)に所属し、十分な練習環境も整った。次はいよいよ金メダルか。周囲の期待も高まる中で臨んだ16年のリオ大会だったが、結果は5位だった。

 

 リオ大会後は邪念を振り払うようルーティンを繰り返した。毎日、早朝から2時間泳ぐのに加え、一流アスリートも通う最先端の筋力トレーニングも取り入れた。年齢的にも東京大会が最後になるかもしれない、という思いもある。「自分は強い人間ではない。でも自分には水泳しかないから」。

 

 そんな中で宣告されたクラス変え。追い打ちをかけるように泳ぎ方のルール変更もあった。現状で小山選手が東京大会に出るには、自己ベストを4秒も縮めなければならない。

 

 昨年末は練習できないほど落ち込んでいたが、今は日々の練習を繰り返す。東京大会前の判定会でクラスが戻る可能性もあるし、自己ベストの更新も諦めていない。

 

 ここ数年は小中学校で講演を頼まれることも増えたという。怖いものなどなかった若者は3回のパラリンピックを経て、今やアスリートとして生き方を伝える立場にある。

 

 「夢を持って生きてください」

 

 講演の最後、キラキラしながら見つめる小中学生に対して必ず小山選手はこう伝えてきたという。最近はその言葉が、自分の心にすーっと染み込んでいく。

 

 

 

 

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