拭えぬ不安 孤立を防げ 大震災最後の避難所を閉鎖へ

2014年0224 福祉新聞編集部
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「もう振り回されたくない」と川出さん

 東日本大震災の避難所がようやくすべてなくなる。最後の避難所「旧県立騎西高校」(埼玉県加須市)は3月をめどに完全閉鎖する。滞在していた福島県の双葉町民は、放射線の影響で地元には戻れず、今はそれぞれが各地で暮らす。慣れない土地での孤立をどう防ぐのか、課題は山積している。

 

極限の避難所生活

 「ほら、この畳一枚。あの時、自分のスペースはこれだけ」ーー。

 

 2013年11月、騎西高校で、川出一郎さん(69)はそう話した。「社会科室」。ここで川出さんは避難生活を送った。教室の奥には、電磁調理器などが並ぶキッチンスペースがあり、別の一角には段ボール製の更衣室が置かれたままだった。

 

 11年3月、東京電力福島第一原発事故で、7000人もの双葉町民が避難対象に。多くがさいたまスーパーアリーナ(さいたま市)などを経て3月30日から、閉校していた騎西高校へ移った。

 

 その後、徐々に町民は避難所を出ており、13年12月末には全員が退去。双葉町は騎西高校の原状回復をした上で、14年3月をめどに埼玉県に返却する。

 

 震災直後のピーク時には1423人が身を寄せたため、どの教室もすし詰め状態だった。「避難直後は、みんなイライラ。子どもは騒ぐし、着替えることもできない。きつかったね」と川出さんは振り返る。

 

 なぜ川出さんは2年8カ月の間、避難所暮らしを続けたのか。それは生活への不安だ。

 

 持病もあるという川出さんは「避難所なら体調が悪ければすぐに助けを呼べる。それにこの年齢で知らない土地に1人で住むのはとても心配。電車やバスの乗り方さえ分からない」と言う。姉と妹はいずれも埼玉県外にいるという。

 

 騎西高校で避難者の賠償請求を行う村松綾子弁護士は「東電への賠償は一律ではないため、先行きに不安を持つ人も多い。生活全般の支援にならざるを得ない」と話す。

 

➡次ページ 避難所に最後まで残った人たち

最後の避難所となった騎西高校

最後の避難所となった騎西高校

 

 

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